FIGHT CLUB

俺とオマエのFIGHT CLUB

イタリアにアモーレが溢れているとしたら日本に溢れているのはムッツリーニである。ー 街での「挨拶」の延長にある海外のナンパと、街にコミュニケーションが存在しない日本 ー


こんなツイートを見た。

米 on Twitter: "イタリア旅行で出会った人たち実録(アモーレ溢れすぎ案件) イタリアの人々代打:くるん兄弟… "

 

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■日本には街に会話が存在しない

 

日本で暮らしているふつうの日本人がこれを読んで感じる、微妙なドラマチック感の正体は、「街に会話が存在する」ことでは無いだろうか?

 

そう、海外には「Hi文化」が存在するのだ。知り合いではない、街ではじめて出会った人同士が、会話を交わす。

小説やドラマの世界では、日本においてもたくさん描かれているシーンである。

(というか、そういう「コミュニティ外との接触」が無いと、全てのストーリーは主人公の所属コミュニティの中で完結する非常にミニマムなものになってしまう)

 

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しかし、実際日本で生活していて、街で他人とコミュニケーションを交わすことがどれくらいあるだろう?

もちろん、店員への注文など"業務連絡"(これを俺がこう呼ぶのは愛すべき非モテたちが一生において女と交わす会話は"業務連絡"のみ、という話からの引用だ)は除いた上でだ。

 

恐らく、ほぼ無い。たとえば一人でショッピングに出かけるとして、家を出てから帰りにつくまで、"業務連絡"以外で日本人がコトバを発する回数はゼロだ。

 

もしかしたら、何気に凄いディストピアがこの国で実現しているのかもしれない。会話は所属コミュニティの中でのみ交わされるもので、街に出ると皆、まるで吃音症にでもなってしまったかのように「アッ、アッ」しか言えなくなる。

 

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「今日はいい天気ですね」というよく耳にするフレーズも、他人同士が街で会話をする際のはじめのひとフレーズとして海外では十分に機能するもので、外国映画やドラマ、あるいは村上春樹の小説などにも頻繁に登場するが、

実際、日本の地で他人に対してこんなフレーズをぶっ放せば、途端に相手は怪訝な顔になり、不審者を見るかのような目つきで睨み返してくることだろう。

 

現代日本の街角から、コミュニケーションは完全に消滅してしまったのだ。

 

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■海外では挨拶の延長にナンパがある

 


イタリアにアモーレが溢れているとしたら、日本に溢れているのはムッツリーニだろう。

日本、マジでムッツリ男多すぎ案件。

好きなものには好きって言えよ。

可愛かったら可愛いって言えよ。

抱きたかったら抱きたいって言えよ。

 

 

早起きして、綺麗にメイクして、せいいっぱいのオシャレして、毎日街に出てくる女の子が、うーん🤔。俺はかわいそうに思う。

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・・・YES, 意味不明。「かわいそう」って。かなり屈折したキモい思考回路持ってんなと自分でも思う。

 


けれど、キュートな女の子が目の前を通り過ぎて行くのに、道行く男、道行く男、完全なスルー。皆がまるでこのキュートなエンジェルc の存在に気づいていないかのように、まるでなにも見えてはいないかのように、ムスッとした顔で立ち振る舞う。

かわいそうだから、俺は声を掛ける。

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・・・YES, 意味不明だしフザけてる。

このカワイソーはエゴの塊。街ですれ違っただけの赤の他人にカワイソーなんて気持ちを勝手に抱かれていると知った時、この子は何を思う?



だけど たまらなくなる。

誰もこの子に「可愛い」ってことを言葉でも、目でも、伝えていない。見て見ぬふり。完全なるシカト(ガンシカ)。

 


だから俺がここで言おう

日本のムッツリーニ野郎どもには任せちゃおけない。俺が言わずして誰が言う?

もちろん、そんなことワザワザ他人に言われなくたって、自分で分かってるという子もいるだろう。

 

でも案外、こんな可愛い子でも、毎朝リップを塗りながら鏡の中の自分を見つめて自問自答してたりする。
「私のルックスっていい方?」ー俺「サイコーに美人」

 

昨日の夜のファッションショーで選ばれたコーデなはずのに、朝着てみたらなんか自信が持てない。姿見の中の自分と目を合わせて悩む。
「これ可愛い?」ー俺「鼻血でそう」

 

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きっとみんな、自分が自分にするyesだけでは生きていけなくて、誰かからのyes、他己承認がいる

だから俺がここでその役を演ろう。

You、マジで可愛い。


俺が街を歩いてると、すれ違う子すれ違う子、みんなマジめちゃくちゃに可愛い。特に朝の駅のホームとか。

こんな可愛い子がすぐ隣を通り過ぎていくのに、なんでだれも振り返らないんだよマジで。

(勿論、ナンパの手法としてはできるだけ目を合わさず、すれ違った後にターンして並行して話しかけにいくのがイイんだけど、So-いう話は今は脇)


あとで声掛けにいくわけでもないのに、そこに美女がいないかのように振る舞ってシカトするムッツリーニども多すぎるだろ。素直に魅了されろよ。そんで挨拶程度にウインクでもしとけよ。そりゃちょっとキモいけどSa

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現代日本の文化の特徴として、最初に述べたが、Hi文化がない(これは俺がずっと言い続けてる話で、また別の機会にでもまとめてみようと思うんだけど)ことが挙げられる。

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街ですれ違って気になったり、信号待ち、エレベーターが同じ、カフェで隣の席になった時に「ハーイ🙋‍♂️」と気軽に挨拶する文化が、現代日本には無い。街で出会った者同士の会話が、日本の街には存在しない。



日本人は基本的に、コミュニティの中にコモる。学校のクラス、部活動、サークル、ゼミ、職場。そして、その中で出会った人とのみ交流を持つ。これらの圏内のみに、「社会」=「Socialな空間」が発生する。

日本人にとって、街は「Socialな空間」では決してない。
他人、他人、他人、他人、他人、他人。
他人同士がたくさん集まった、「非・Social空間」だ。

つまり、社交性(social interaction、Interpersonal relationship)というモノが日本の街にはほぼ存在しない。日本人にとって街の人は単なるpublic(公衆)であり、街はpublic space(公共空間)という認識しかない。

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日本人が街に出向くとき、知らない誰かとちょっとした挨拶を交わすことも、知らない誰かに話しかけられることも、基本は想定していない。"他人同士"が大量に詰め込まれた空間の街では、互いに目を合わせないようにしながらツンとした顔をして過ごすのがフツウ。

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そんな怖い顔をしているくせに、街で知り合いに出くわすと、パァッと顔を綻ばせる。若い女の子なんて、満面の笑みを浮かべてキャーキャー騒ぐ。他人同士の空間のなかで緊張が解ける一瞬だ。いままでどれだけ緊張してたんだよ。

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ナンパをしていると、日本人のこの落差に絶望する。知り合いって言ったって、学校が同じとか、バイト先が同じとか、そういう薄い顔見知りってだけでしょ、大体は。街で気になって話しかけた俺と、信用性にたいした差なんてないだろ。



所属コミュニティの中でしか、他人に声をかけたことがない人は、ぜひともコミュニティ外で声をかける経験(ナンパ)をしてみてほしい。ほぼ100%、ムッとした顔をされる(笑)やってるうちにこんな思案が頭をめぐり出す。

「○○○○(所属コミュニティ)で話しかけたらいつも笑ってくれる優しいあの子も、もし街でこうして出会っていたら、絶対にムッと睨みつけてくるんだろうな・・・。」

もし自分が、コミュニティの構成員じゃなかったら。あの子は無残にも俺を切り捨てただろう。心の中で死ね!と唾を吐きつけて。

自分という人間の価値、あるいは異性から見た自分の「男」としての価値は、所詮この程度。視界の隅に映るだけで嫌悪感を催すゴキブリみたいなもんだ。

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自分がゴキブリだという実感がイマイチ湧かないなという男は、街に出て声をかけてみればいい。どんなイケメンだろうと(そう、あの福山雅治パイセンだって)、視界にチラつくゴキブリとして処理される待遇を受けることになる。

福山雅治「絶対ナンパしたほうがいいって!」
https://youtu.be/Eg2Dc79SAy4

 

 


しかし、俺たちプレイヤーはそのドン底から這い上がる。『バットマンライジング』のブルースウェインのように。

 

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下手ながらも何十回も声を掛けていると、たまたま優しい女の子にあたってオープンして、会話が弾む時が来る。

そこから連絡先を交換したりして。
あるいはそのまま意気投合して、カフェでゆっくりお茶でも飲んだりして。

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その時、ハッと気づくだろう。

街で出会ったのに、この子もう俺の知り合いになってるじゃん。と。

さっきまで他人同士だった2人が、顔見知りになり、知り合いになり、一緒にカフェデートをした仲になる。

女の子は、知り合いには優しい。

なら、知り合いになっちゃえばいい。

街で出会った時にムッとした顔を向けてくる子たちを、なんとかノリで懐柔して。笑わせて。喜ばせて。連れ出して。

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街のど真ん中に立って、自分の周りを365度見渡そう。

うまく話しかけさえすれば、みんな知り合いになれる。友達になれる。デートに行ける仲にだってなれるかもしれない。

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・・・そうして、男はアモーレになる。

 イタリアにアモーレが溢れていて、日本にはムッツリーニしかいない理由は、単に、この見地に至った男の数の差なのだ。

 

 
名作ロマンス映画における男女の初めての出会いのような、トキメキのシーンを、声をかけることでみずから実現すればいい。挨拶をするだけ。簡単だ。

 

外人モードとなった男に、怖いものはない。

 

外人フィールドは見る見る間に広がり、自分の周囲を染め上げていく。ここはミラノのガッレリア。ここはパリのシャンゼリゼ通り。ここはマドリードのマヨール広場。

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簡単だ。街で出会った子に挨拶をするだけ。胸を踊らすような出会いが街には溢れている。道角でも、カフェでも、本屋でも、雑貨屋でも、立ち飲みバーでも、コンビニでも、クラブでも、祭りでも、これを書いている俺はその全ての場所で女の子と知り合い、やがて意気投合し、その後関係を深めたことがある。

 

例えばタワレコに行って、自分の好きなアーティストのコーナーにいる女の子に満面の笑顔で「○○好きなの?俺も!」と話しかけてみるだけだ。それが運命の出会いになるかもしれない。 


女の子が「運命の出会い」に憧れる気持ちは、日本において「普通」とされている、コミュニティ内恋愛の閉塞感から来ている。

 

所属コミュニティの中で、「どれにしようかな」的に女の子を見定めて、消去法で「いちばんいいの」を決め、好きになるという発情の仕方は、よくよく考えてみるととても不自然だ。

みんな、そういう先の見え透いた恋愛 ーーー虫かごの中にオスとメスを数匹ずつ詰め込んで蓋をして起きるようなカップリングーーー に辟易しているのだ。

 

だから男達よ、アモーレになろう。

街に繰り出して、多くの人と知り合おう。

 

無愛想でシケた日本の街に、クリスマスロマンスを供給しよう。

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女の子が運命の出会いを求めるなら、俺たちは運命の出会いの演出家になろう。

 

イルミネーションの季節だ。友人と二人組で出かけてみよう。イルミ背景に自撮りをしている二人組の女の子がいるから、「よかったら写真撮ろうか?」と話しかけてみよう。

 

その後は少し立ち話でもして、ここは寒いし、俺たちとカフェで暖かいものでも飲みに行かない?と誘えばいい。

そうやって街で男と意気投合して、連れ出されたいと思っている子は、実はたくさんいるし、男女の恋愛においての行動コストは男が支払うべきものだ。

 

さあ、男達よ。アモーレになって、日本の街をハッピーにするために出掛けよう。

 

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