セックス不足に喘いでいる非モテ男が、トレンドのゆるめファッションで「あえてカッコつけない余裕」を演出しても、その「余裕」に説得力がないから、マヌケにしか見えない、という持論。
まずはこの画像を見て欲しい。
左が、日頃セックス出来ている男があえてカッコつけない「余裕」を演出することで婉曲的にカッコよくなっている例。
右は、セックス不足に喘いでいるくせに「別にモテようと思ってない」などとフカしてある意味カッコつけた結果、非モテ感丸出しでフツーにダサくなってしまった例だ。
今日のトピックでは巷で散見されるこの残念な現象、簡潔に言うと「ゆるダサい服を着ることで、なぜかカッコよくなる男と、そのままフツーにダサくなる男の差が生まれるメカニズム」について、独自の切り口から迫ってみようと思う。
■2015年頃から「ユルさ」がメンズファッションのトレンドに
メンズファッションは近年「ユルさ」がトレンドだ。ちょっとファッションを齧ってる男は右に倣えとばかりにゆったりとしたシルエットの服に身を包む。
オーバーサイズなトップスやアウターに、ゆったりとしたリラックス感のあるワイドパンツ。街でもすっかり見慣れたシルエットだろう。
そしてそのユルい流れから派生してか、尖った"男性性"の高い服は避けられ、「俺べつにカッコつけて無いっすよ」「女の子をどうこうしたいとか、全然思わないっス」とばかりに角の取れた、"かわいい"服がメンズにも好まれている。
例えば昨冬あたりから流行りに流行ってるアイテムがこれ(パタゴニア・フリース)だ。
(なんだ、このモコモコヒツジ野郎😠💢チンコ生えてんのかコラ!💢)
■「余裕 = カッコいい =モテる」がゆるめファッションの流行りの源泉
余裕。女のコは男の余裕が好きだ。 ゆっくりとした口調、深く低く響く声、ゆったり、堂々とした振る舞い。
慣れた手つきで臆することなく誘い、口説く様。豊富な経験によって身につけられた自信と落ち着き。どこからともなく醸し出される男としての器の大きさが、女の子を虜にする。
女の子も、とくにアタマで考えて(言語野で思考して)余裕のある男を好んでるワケじゃない。本能的に惹かれていく。
ダーウィン論的に言うなら、男の中でも、余裕なヤツは有能な割合が高く、ドタバタと焦るヤツは無能な割合が高かった。遺伝子淘汰を経て「余裕な男を好む」女が多く生き残ったという訳だ。
男の余裕、それを女が好むということはつまりモテ要素になる。「何がカッコいいか」は時代とともに変遷すれど、「余裕」は長く男のカッコよさの構成要素であり、ここ2〜3年は特に「余裕=カッコいい」という価値観が取り立てて持て囃されている。
男のファッションにおいてもそれは顕著で、スキニーは死に、すっかりワイドパンツ隆盛だ。
「余裕」を男のカッコよさに結びつけるファッションはしかし曲者で、数多くの男が爆死している。
持論を言うと、余裕のカッコよさとは「セックスなんていくらでも出来ている男」が「あえてカッコつけない」ことで生まれる。
「セックスしたいのにできない男」がカッコつけないという選択肢を選びにいった場合、地雷となる。
「セックスしたくてもしたくてもデキない男」が余裕をかましてみたところで、カッコよさには微塵も変換されないという現実が、残念ながら、この世界にはある。
非モテ男のゆるめコーデ、脱力コーデ、ワイドシルエット、すべて女には「無害な石ころ」として認識されているのが現実だ。自らを口説き落としうる「男」としては見られていない。
「チンコ付いてませんよ?」という顔で"かわいい"服を着て、いくら女から「かわいい〜」とモフモフ褒められようと、「男」フォルダに入っていない以上、そこで終わりだ。無害な友達として接近して、いざチンコの気配でも出そうものなら、女からとんでもなく激しい拒絶を受けるだろう。「ぬいぐるみからチンコが生えてきた」のだから。
■カッコよさとは"有害っぽい"感じ
カッコよさとは有害っぽい感じなんだ。そこには攻撃性が伴う。「孕ましてきそう」な感じ。
「男」を認識するとオンナは本能的に「アブない」と感じる。膣にチンコ挿れられたら妊娠するわけで、遺伝子生存戦略上、大きなリスクが伴うシーンでは大きな警告が鳴るようにできている。
けどそれイコール嫌いなわけじゃない。男性性を感じて「アブないと思う」=「妊娠可能性を察知している」ということ。「男」として認識されているからこそ、孕まされそうな危険を感じる。
普段から「良い人」として石ころ扱いされてる非モテにはこの感じは決して湧かないんだな。
本能的に妊娠可能性を察知すると、オンナは探索モードに入る。これを言語化する際に「警戒する」と表現する人もいる。
「モテる男かどうかセンサー」を女の子は無意識に出して、男を見極める。彼が非モテの無能じゃないかどうかを本能と子宮で判断する。遺伝子戦略上、非モテのタネを受け取ってしまうと、遺伝子が途絶える危険性が上がる。それを全力で回避したいというわけ。
テストにパスすればもうすっかり女の子は丸裸だ。スッと抱けてしまう。
非モテのゆるファッションは、男のカッコよさに不可欠な"有害さ"が無い。
これがセックスに困ってない男だと、何もしなくてもカッコいい色気が漂ってるから、敢えてカッコつけない余裕がキいて、一段上のカッコよさになる。
しかし非モテがカッコつけないと、女から男として認識されない、本当にただの石ころになってしまう。セックスはどんどん遠のいていく。
■ストレートな「カッコよさ」と、「カッコよさの婉曲表現」
1ミリの隙もなく男がカッコつけるとこういう感じになる。とにかく攻撃力が高い。
2000年初頭にエディスリマンが完成させたシルエットだが、今もド・ストレートの「カッコよさ」とはこういう定義だと思う。孕まされそうな感じが半端ない。
時代は違うが、このド・ストレートなカッコよさを体現していたのが映画「Fight Club」でブラッドピットが演じるタイラー・ダーデンだ。
そして、カッコよさに軸は据えたまま、余裕 (リラックス感やゆるさ) を足すとこういう感じになる。この段階では男らしさは失っていない。これは隙のないカッコよさに少しだけ余裕を持たせて、"別に頑張ってない、ラクだからコレしてる" という、「婉曲表現のカッコよさ」=「カッコつけないかっこよさ」というものに足を踏み入れている。
「カッコよさの婉曲表現」は年々加速していて、「カッコいいかこれ?」と誰もが首をかしげるとこにまで到達してたりするが、着るモデルがカッコいいのでやりきっている。
その一方、ハナからカッコよさを志向しない流れも昔からあり、「カッコよさの婉曲表現」との汽水域はもはや素人目には見分けがつかないくらいだ。
「カッコよさ」は「ドストレートのカッコよさ」と「カッコよさの婉曲表現」に分かれていて、メンズファッションの近年の趨勢としてはもっぱら、後者(" あえてカッコつけない ")をいかに巧く表現するかで競い合っている。
■セックス不足の非モテがカマす「余裕」には説得力がない
この「カッコよさの婉曲表現」の流れに、何を勘違いしたか、セックス不足でハナからカッコ良く無い非モテが「逃げ」として参戦する。
しかし、俺はカッコつけてる訳じゃねえから!を到底カッコ良くない奴が言うのは、アホのテスト本気出してないだけ発言くらいダサい。まずはドストレートにカッコつけてみろよと言いたい。
まあそれが無理だから、非モテファッションピーポーは婉曲表現の流れに乗ることになる。石ころが量産されている訳だ。 女を口説いて拒否られるのが怖いから口説か(け)ないのと、女ならいつでも落とせるけど敢えていかないってのは違うんだよな。怯えと余裕。服が示すメッセージが 真反対 だ。
いくら「これは"余裕"だ」と主張しようと、非モテのそれには説得力が無いから、透けて見えるその 怯え・逃げの気持ちが、そのゆるくて野暮ったいシルエットを、ダサく、間抜けに 見せる。
カッコ良さの「トゲ」や「攻撃性」、俺かっこええやろ!と肩肘張ってキメすぎるのを「ダサい」とする流れは確かにある。直接的なカッコ良さ表現へのマウントとして「余裕」をアピールし、気張らなさや自然体、落ち着きをアピールする婉曲的カッコ良さ表現を好む。
“ Okay, 超ヨユー。”
しかし、そういうメッセージは哀しいかな、そもそもカッコよくない非モテが放っても全く何の効力も発揮しない。
ワックスつけて髪をセットしてるリア充を、髪がボサボサに散らかった非モテが指差して「あんなカッコつけてガツガツ女にモテようとしてる男のなにがカッコいいの?」とか言っちゃう痛い構図を想像して欲しい。そういうことだ。
これはウーマンハンターの世界でもそうで、胸に熱くたぎる情熱をエンジンに、牙を剥き出しにして獲物を追いかけガンガン口説き落としていくバーニングスタイルと、あえて牙や爪を隠し、みずから行かない「余裕」を保ち、そのフェロモンで女をおびき寄せ、掛かったところを一気に仕留めるクールスタイルがある。Push(押し)とPull(引き)だ。
「モテる男はガッツかない」という言説は、後者から前者へのマウンティングであり、女の尻を追いかけ回す奴を「ダセェ」と一蹴する。対して前者からは「傷つかないように予防線引いて、家で一人でシコってる方がダサい」といった激しい反駁があがったりする。
いずれにせよセックス獲得能力の高いモテ男同士が互いのプレースタイルの違いについてやいのやいの言いあっているのであり、ここにセックス不足の非モテが首を突っ込んで「ガッつくのはちょっと、、」なんてモノ申すと言うのは、勘違いも甚だしい行為だ、だが、彼らはそこに乗っかってくる。
自分がビビって動けないでいることに対してなんらかの意義づけが欲しいから、「自分から動くのはダサい」というモテ派閥に乗っかっていく。自分からは何の行動も起こさない、それで腹を空かして飢えている。毎夜オナニーが止まらない。
その点、Pullスタイルのモテ派閥に所属している男たちは、何もしてないようで常時、海に釣り糸を垂らしてるし、ルアーでしっかりと獲物を誘い、食いついたところを即引き上げ、日々、きちんと釣果をあげている。
結局メシにありつけるかどうかだ。
釣り糸を垂らしていれば向こうから食いつきがあるのなら、それでいい。
そのレベルに到底達してない非モテは、自ら海に潜って、泥臭くモリで突きにいくべきだし、それしかない。
カッコよくなりたいなら、まずはドストレートにカッコつけてみることからはじまるはずだ。そこから、「余裕」や「カッコつけてない感」を上乗せしていく。
カートコバーンのアメカジ・グランジは余裕があってカッコいいけど、これは彼がセックスに困ってないからカッコいいんであって、非モテがいきなりやると「肩の力ヌイてる感じ」がそのまま「ダラしなさ」になるからダメだ。
■「はじめまして」の段階でチンコをチラ見せする
結局、俺がこのトピックで何が言いたいかって言うと、「世の中の男たちもっと男らしくチンコ見せていこうよ」ってことかな。
確かにチンコ出すのは勇気がいる、しかしはじめましての段階でチンコは見せとかなきゃいけない。ハリウッドきっての伊達男、ライアン・ゴズリングだって、初対面からチンコをチラ見せしている。(「素敵だね」)
性欲のかけらも無い感じでフレンドリーに振舞えば女に近づくのは簡単だけど、友達として親密にはなれても、そこからいざチンコ出そうとすると、表情が一気に豹変して、これでもかというくらいに拒絶されてしまう。
男として見てなかったものからいきなりいきり立ったチンコが生えてくる恐怖は計り知れない。ホラーだ。
女から「男」として認識されるためには、はじめましての段階で、「おれチンコ生えてるけどいいかな?」っていう前提、コンセンサスから男女関係を構築しなきゃいけない。
どういうやり方にせよ、ただの「いい人」扱いをされてない男はひとまず、そこはクリアしてるわけだ。
そういった場合、きっと女も彼に対してある種の"有害性"を嗅ぎ取っていることと思う。孕ませられる予感を本能で察知する。
そして、ここが難しいトコだけど、下ネタ全開で行ったらイイわけじゃ決して無い。
男の下ネタを女は、
⑴セックス不足ゆえのもの
⑵普段から女とヤッてる余裕ゆえに溢れ出たもの
の2パターンに本能的に振り分ける。
そしてよほどの男じゃ無い限り、下ネタ発言をすると前者扱い (つまり、男としては取るに足らない雑魚ってことだ) されるから、やめといたほうがイイ。
女は、男の「セックス不足な感じ」=「非モテ感」がめちゃくちゃ嫌いなんだ。彼女が建前上なんと言っていようと、本能的に、男から、童貞感(一匹のメスからも受け入れられなかったオスであるということ)を嗅ぎとると、オスとしては見れなくなる。下の方も乾いてくる。
では下ネタを使うことなく、
「チンコ生えている」ことを女に認識させるためには?
答え。要は、「これからキミを口説くよ」というコトを、直接言葉で放つことなく匂わせることが大切なんだ。友達フォルダ入りを徹底的に回避していく。その際のimplicationとして有効なのが、こういうドストレートにカッコよさを表現した、オス性の高いファッションだったりする。(スーツは超セクシーで、女からすればオス性の高いファッションだ)
はじめは少しばかり孕ませの危険を本能で察知させてデートに誘い、けれども実際のデートではツメは出さずに紳士的に余裕を持って振る舞って女を仕上げ、最後の口説きパートで少しの強引さをもって手→肩→髪→キスと女に身体接触を伴うアプローチを仕掛け、女の子に「わたし軽い女じゃない」というジャブを撃たせてあげてから、「俺のせいにしたらいいから」と、女の子に罪悪感を被せることなく、自分が「悪い男」になってあげる。うまく「言い訳」をつくって誘導してあげる。
これが一連の流れだ。
チンコ生えてない、女からして孕ませられる危険のなさそうな「無害な奴」になったら、男は終わり。だいたい2人きりのデートに誘った時点で「お前チンコ生えてたのかよ」と女からキモがられるだろうし、うまくデートに誘い出す事に成功して、うまく進展カマせた場合でも、最後には「確かにいい人なんだけど、何か違うの」辺りの虚しいエンディングが待っている。
「○○くんとは、友達でいたいの」
世の中の男たちよ、有害であれ。危険であれ。アブない香りのする男であれ。ツノを失うな。勃起を失うな。
女が世の中の非モテ男に対して、「無印良品みたいな男になれ」と勧めるのは、端的に言えば、去勢だ。
女は「○○くんは優しいね(=だから性欲出してこないでね)」によって男を去勢する。勃起した非モテのチンコをなだめ、「私にそれを向けないで」「危ないからしまって」と教育して自制させる。
これはある種の"機構"だ。これに飼いならされた非モテは、ブツをなんとか諌め、「女に性欲を向けない」ことを学習する。そうすれば女からよく出来ました、と褒められ、今まで通り「友達」で居続けることができる。女の子は自分に笑顔で接してくれる。
大半の女は、この懐柔術に優れている。
これもメスの本能だ。女にとって非モテの無能遺伝子を孕まされることは、遺伝子戦略上・最悪の事態だから、その回避のために、自分に寄ってきた非モテ男をうまく「お友達」枠に収めて蓋をする。そうして大人しくさせる。
しかし、そうやって生まれた「無印良品」から、「セックス」は最も遠い文脈にある。連想ゲームの反対側だ。
女の子が口で言うことを信じてはいけない。
彼女たちは、言語化する願望と、内に抱える欲望が全くもって食い違う生き物で、口ではマッチョは怖いと言いながら、三代目J Soul Brothersの筋肉に興奮しているし、安心安全の無害な男が好きと言いながら今夜もどこからどう見たって有害な男に抱かれている。
*「怖い」とは妊娠可能性(±のリスク)を察知しているという事、安心させてくれる男が好きとは守ってくれる強い男が好きの言い換えでもある。なんにせよ、本能的なものを言語野で思考して言葉に変換することは難しい。
だから、女の「かわいい〜〜♡」にダマされてはいけない。めいぐるみになりたいなら話は別だが (再掲) 、
モテやセックスに最も必要なのは女から「オス」と認識されること、それに伴う有害性・攻撃性のimplicationであり、カブトムシのツノのような「フック」だ。
イケメンはもとから女にペニス性を認識されており、彼らはかわいいゆるファッションを着てもオス性を失わないし、その服は「余裕」というカッコよさの婉曲表現になる。
一方、雑魚男のかわいいゆるファッションは去勢でしかない。ペニス性を失った、「オス」カテゴリでは無い、ニュートラルな存在。
非モテが日々のセックス確保に窮しているのは、「無害性」や「雑魚感」が強すぎるせいかもしれない。ある程度攻撃力がなければ、女の子とベッドには到達できないし、ツノが無ければ最後の砦は突破できない。それは、セックスというのが、誰がどう見たって、とんでもなく暴力的な行為に他ならないからだ。無印良品の棚にそれが並べられることなんて未来永劫あり得ないだろう。
非モテ諸君。モテたいなら、男なら、ドストレートにカッコつけていこう。「俺にもチンコ生えてるぜ」ってことを女に存分に理解らせていこう。自分の本心の「モテたい」「ヤリたい」という気持ちに素直に向き合い、誤魔化すことなく、逃げることなく、真っ直ぐカッコつけていこう。そこから全ては始まる----。
俺は、そう思う。