マジメなおっさんがエロに対して憤るのは、性欲を「怒り」でコントロールしているから──エッチ嫌いの進化論
突然だが、
エロに対してキレるおっさんがいるのは何故なのだろうか?
おおよその学問界隈では、20世紀の最後になるまで「下ネタ」は禁止だった。──当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、エロやセックスが真っ直ぐテーマなものはもちろん、“猥褻”なワードが少しでも内容に絡む研究は学問の場にふさわしくないとして排斥されてきた。
これはとんでもないことだ。
ヒト(ホモ・サピエンス)は生物(organism)だ。そして生物である以上、どんな人も生存の維持と生殖の遂行に向けて遺伝子をプログラムされている生物個体だといえる。(そうでない者の遺伝子は何億年も生き残っていないだろう)
あらゆる人間のどんな行動も、どんな思考も、おおよそ最終的には生きることと繁殖することに向かっている。産まれる前から、ココロの基盤が予めそのように設計されているのだ。
生に関して、道義的な話を抜きにすれば、
ヒト自身の手に委ねられているのはHOW (どのように)でしかなくて、WHAT (なにを, what purpose) は我々のコントロール下にはない。
俺たち生物個体が持つ身体機能や構造(脳も含めて)の大半は「生存と生殖」という生物学上の絶対的テーマに沿うように進化の中でより良くデザインされてきた適応物と言える。
たしかに、身体機能や構造の一部には、そのテーマに沿わないものも見受けられるが、それはあくまでその他大多数の機能構造(for 生存&生殖)を成り立たせ、働かせるために生じた副産物でしかない、というのが生物学的な見解だ。
それを鑑みて大きく捉えれば、頭のてっぺんからつま先まで、このカラダのすべては「生きること」と「セックス」に紐付いていることがわかる。
セックス獲得のための"HOW"としてヒトが採る手段といえば、一般的な男でいえば出世競争、女でいえばオシャレ等が上げられるが、べつに何か決まった競技形式があるわけじゃなく、まさに人それぞれといった具合だ。
知名度を上げるために芸能活動を用いる奴もいるし、デカイ業績を上げようと研究開発に勤しむ奴もいるし、あるいはオナニーという手段(HOW)を利用したり(人間の脳は映像と現実を区別できない)、キャバクラや風俗、アイドルや二次元アニメなどの仮想恋愛にハマる奴もいる。
いかんせん、ヒトは脳みその想像力が豊かに進化したためにムダに生殖のための行動バリエーションが増え
(競技種目は出来るだけ増やした方が金メダリストが多くなる。動物社会に比べて人間社会は競争種目の数が多い;それはそういう「マニアックなこと」をしていても生きていけるというヒト文明社会の芳醇さを表したものでもある)、
──当人が意識しているかどうかに関わらず、一人一人が様々な生殖競争手段(HOW)を採用している。
──そのなかで、生殖を達成するのに向かないオナニー手段を選んだ奴(適応度が低かった個体)のタネは現在の代で途絶え、次の代には引き継がれることがない。
だからセックスジャンキーじゃない為に一生童貞を貫いた男や、恋愛ジャンキーじゃない為に一生おひとりさまを貫いた女の形質はけっして後世に遺伝しないし、そうしてセックスジャンキーや恋愛ジャンキーの形質を携えて生まれてきたネオ・キッズたちの間でまた、生殖競争が繰り広げられることになる。
ただそれだけの話だ。
──いずれにせよ、ヒトが動物である以上は、セックスの獲得は誰もが避けられない、人生上のメガテーマになる(生物学的な話)。
にもかかわらず、エロやセックス、場合によっては恋愛までもを“ 学問/仕事の場にはふさわしくない ”として、マジメな話として持ち出すことにキレる愚蒙なオッサンやオバハンが世の中にはたくさん生息している。
しかも、そういうクソ真面目な(そしておそらくムッツリな)オッサンやオバハンほど、“知識階級”を名乗っていたりするものだから、本当に手が負えない。
[ヒトソサエティにおいて最大の権威は “ヒト=モラル”(エロの排斥&我欲の否定によって治安を維持する機構)である。権威は集団の維持に役立つものであり、ヒトソサエティにおいてはそれ(モラル)を身につけた者のみが社会階級を上っていけるという仕組みになっている以上、“ムッツリ”の出世は仕方ないことだ]
たとえば世界の多くの経済学者は、現在の購買理論にヒトの性欲理論を絡めてセオリーを構築し直すことは馬鹿馬鹿しくてムダだと信じて疑わない。
もっと実学志向であるはずのマーケティング学者でさえ、ポルシェが売れる理由を「性能がいいから」「カッコいいから」「社会的地位を示しやすいから」「知名度(ポピュラリティー)が高いから」などと顧客に実施した購買者アンケートそのままの文言を用いて説明する。
彼らは「女にモテるから」という下世話なコトの核心にはけっして触れようとしない(研究を行う上でその態度はあまりに不真面目だ ; どっちが ?)。
もし言及するにしても、あくまで付随的なものとして扱うに留まる。むしろそれが──顧客がちゃんと意識しているにせよ、ほとんど無意識にせよ──メインの目的である可能性は高いというのに。
(進化心理学者・ダグラス・T・ケンリックは、数々の研究や脳fMRIなどを用いた実験結果から男のポルシェ購入理由についてそう結論づけている)
しかし、「既婚者はモテる必要がない。それでもなおポルシェを買う人が多いということは、それ(モテること)は購買意欲の核心ではないということだ」
──こんな馬鹿で低レベルなことをマジで言い出す学者すらいるのが現状だ。
言うまでもなく、人間がポルシェを欲しくなる気持ちの基盤には、生物学的な理由が存在する。
そしてそれは、果てしない生物進化の時間スケールの中でゆっくり着実に形成されてきたものだ。
「既婚者はもうモテる必要がない」→だから→「ポルシェをモテるためには買わない」という理屈は、少なくとも生物学的には成り立たない。
なぜなら、彼らの脳──PHA(恋愛ホルモン)──は、すくなくとも男がパパとして子育てに関与するのが必須の三年を過ぎれば、「まだモテる必要がある」と本能的に思い直すように出来ているからだ。
一度メスとつがいになったオスが “もうモテる必要がない” 社会なんてものが存在していた時間は、人類史600万年、ホモ属史200万年のうち、直近のわずか数百年を数えるに過ぎない。*
そしてもちろんそれは、進化のスケール上、ほとんど考慮するに値しない。
「もう結婚しているから、べつに他のオンナの気を惹きたくてポルシェを買ったわけじゃない」と個々のおっさんがいくら饒舌なおしゃべりをカマしても、脳血流を調べられれば「まだまだモテたい!」という半意識的なココロの叫びが、ポルシェに関連して、ほぼ反論不能のデータとして現れてきてしまう。
*生涯通しての一夫一妻が社会規範として普及したのは、西洋では長めに見積もって教皇インノケンティウス3世の時代からの600年間ほど、日本では明治維新からのたったの100年間ほど。
──それ以前は、アウストラロピテクスの頃からの人類オリジンとしては:一夫多妻 / もしくはホモサピエンスとしては:子育て中は一夫一妻の形をとるが生涯において幾度もパートナーを切り替え、そのたびに違う相手と子作りするという方式:ミクスト=メイティングが採用されていた
──ヒトがポルシェを欲しくなる気持ちの核心にれっきとした性欲*があるとなれば、もうどんなお堅い経済学者や経営学者でさえ “俗っぽくて下世話な話” を無視することはできなくなるだろう。
*もちろん、生理学的な意味ではない
そして同様のことが、その他人文・社会科学系の学問分野──法学、政治学、社会学、文学、哲学、教育学、そしてもちろん伝統的な心理学(;かつてフロイトを嘲笑した人間の巣窟)においても言えることだろう。
まるでなにかの腫物でも扱うように、性欲やセックス、そしてエロを忌避する時代はもう終わった。
──それが真面目な学問や仕事の場には “ふさわしくない”というのなら、そんなコトを抜かす奴こそ、ヒトという種や、その集合で成り立つヒト社会に正しく向き合うことに不真面目だし、知的な場所にはふさわしくない。
* * *
タイトルに戻ろう。
「エロ」に対して、“マジメな人”が憤りを覚えるのは、何故なのだろうか?
──そして俺はこれに
「怒り」で性欲をコントロールしているから
という仮説で応えたい。
そう考えれば、エロいものに対して、真面目な人間がブチギレるのは当然だ。
なぜなら、彼らはカラダの奥から沸き起こってくる性欲(エロへの食欲)を──痩せることを決心した多くの人間が実際にやっているように──「怒り」によって制御しているからだ。
「ダイエットしよう」と強く決心した男の前で、ひたすら最近食ったラーメンについての話題を繰り広げたり、「やせよう」と固く誓った女の前で、ひたすら最近出来たスイーツ店についてのトークを繰り広げると考えればどうだろうか?
きっと、彼/彼女はいい気がしないし、場合によってはイライラしたり、フツフツとした怒りがこみ上げてくる事だろう。
しかし「食欲」を喚起させるものである場合、その怒りやイライラが誰かに向けられることはすくなくて、矛先が自らに向くことが多い。
一方、それが「性欲」を刺激するものだと、その怒りやイライラは一般に、自分にそのような気を起こさせた他者に向けられることになるだろう。
「いまダイエット中だって言ったじゃん!!!!!」
──これがお堅いオッサンの「下品だ!」「けしからん!」「恥じらいをもて!」「ちっとは慎め!」「許さん!」
というエロ=アレルギー反応の正体ということになる(かわいいかよ)。
では、なぜ、性欲を制御することに「怒り」という感情プログラムが用いられるのだろうか?──そのためにはまず、そもそもの「怒り」というものの正体を確かめておかなくてはならない。
💬「怒り」という生体反応(感情)の効用とは?
──「感情」は生物進化のなかで形成された適応プログラムである。あらゆる感情には生物の生存/生殖を手助けするという目的が備わっている。
自然界を見てみよう。
「怒り」という感情システムの機能は、天敵に対しては闘争/逃走反応(fight-or-flight response)に際して前者の選択肢を円滑に実行に移す為のものだが、
天敵(捕食者)ではなく、同種や仲間に対しては、地位争いと権利主張という目的を達成するためのものだ。
たとえば、チンパンジーが群れの仲間に対して「怒り」を示す行為である“威嚇(threaten, show of force)”は、相手個体から意気消沈(depress, be in low spilits)の態度を引き出すためのものだ。
それは上位個体→下位個体では「序列の保全」として役立つし、下位個体→上位個体では「権利の保全」として役に立つ。
・上位→下位に「怒り」が向けられると、一般に下位個体は反抗(地位への挑戦)をやめ、従順な態度(地位の保全)をとる。なぜなら戦うことになって痛手を負うことを恐れるからだ。
・下位→上位に「怒り」が示されると、上位個体は驚き、無視するか、霊長類の場合はそれから笑って流そうともする(ニホンザルの群れの研究から、他個体の叱責を「笑う」ことは“威嚇(怒り)への拒絶”を示す行為であることが判明している)。
そこからさらにカウンターとして上位→下位へ「怒り」が示されることもあるが、そもそも下位個体が面と向かって上位個体に「怒り」を向ける時は相当キツく追い込まれた状況なので(たとえばメシを与えられないとか)、
上位個体はそれに対し「やりすぎた」「スマン」という意気消沈反応を返すことが多い。
上位個体にとっても、わざわざケンカすることは相当なリスクがある。痛手を負えば地位の保持にも支障が出てくる。だから闘争を避けるため、相手の怒りをいくらか受け入れる。ただし地位への挑戦(威嚇)に対しては「笑い=威嚇の拒絶」で跳ね除ける。
びっくりしたわ〜。 ふだん何も言わねーくせに、何いきなりキレてんだよお前。。(笑)
──しかしこれにより下位個体は、自らの基本的な権利を強者に奪われることなく保全することができる。「怒るだろうな」が序列イジメの抑止力になるのだ。
「怒り」の権利主張効果は、たとえばアメリカの労働者と日本の労働者の仕事環境や賃金の差にも大きく反映されている。日本のように時給800円のアルバイトにも関わらずホテルマンのようなサービスの質が求められる仕事は、アメリカでは広く働く側から反感と顰蹙を買うことになるため、存在し得ない。
逆に言えば、いかにして労働者の「怒り」を経営陣ではなくお互い(こいつ、俺と同じ給料貰ってる癖にサボりやがって/早く帰りやがって許せん!!)に向けられるか、というのが日本的企業マネジメントのやり方だ。
──さて、「怒り」という感情システムについてカンタンに把握できたところで早速、エロに憤る人間の心理メカニズムに話を戻そう。
先に述べたように、憤りの要因の大きな一つとしては、「性欲を掻き立てられること」があるだろう。
では、性欲が掻き立てられることで、その人に一体どんな不利益が生じるのか?
──意思決定プロセスの確かさがブレるのだ。
要は、「お前にエロいことを考えさせられたせいで、俺の頭はマトモではいられない。訴えてやる!」〜give me the truth〜 ということ。
ヒトの感情は進化の生成物で、ある条件がスイッチとなって機械的に作動する。
上記で述べたように「怒り」とは “闘争/地位争い” と “権利の保持” のための感情システムで、そのような必要性が掻き立てられた瞬間、スイッチが入る。
人間が、エロやブラックユーモアに対して「気分を侵害された!!」とブチギレクレームを入れる行為は、 “じぶんの身体/思考/メンタルの管理権が侵された” という「怒り」から生じたものだ。
そういうクレーマー気質の人間はみな、「自分の気分は他人によって作られる」と強く信じている人種だ。「じぶんの気分はじぶんで管理する」という文明的発想をまるで持たない。
「自分の気分は正常に保たれるべきだ」から→「ワタシにはその権利がある」にまで脳みそが飛躍し(もちろん言いようによっちゃあその権利はあるんだが)、
"エッチなCMをみるとワタシは気分が悪くなる"とテレビ局に怒涛のクレームを入れてしまう。
正確には、エロによって彼ら彼女らの気分が “害” されているわけではなく、
性的な気分(情動換起や意識モジュールの発動)になってしまうことを阻止しようと、彼ら彼女らが “嫌な気分” をみずから生成してぶつけている──仕組みとしては対人恐怖症などに近い──ということが起きているのであって、
"エロいもの"それ自体に「不快」という属性が含まれているわけではないのだが──・・・
(文化的に“不適切” という要素は確かにあるといえよう、ヒト進化史において性は日常から隔離されてきたのは事実だ。ゆえに、それはたしかに日常にそぐうものではない。では、なぜ「日常から隔離」されたか?──「性の契約化=結婚という配偶共産システム」が非モテ人間=社会のマジョリティにとって大きな利益があったが為だ)
・・・──性的不遇から「エロ=不快」の条件付けが脳内で進んでいるひとたちは、「エロい刺激によってワタシが気分を保つ権利を阻害された!」と、どうでもイイことにブチギレてしまいやすい。
ヒトの脳みそには善悪判断によって物事を思考停止でぶっ叩けるという機能が備わっているが、“エロ=社会悪” の公式でタガが外れ、キモチイほどイッキにいけてしまう。ぶっ叩けてしまう。ぶっ叩いた自分はますます善人になり、キモチ良くなってしまう(フゥー)
──また、大きく別要素が絡むために「オンナがエロを嫌う理由」はここでは語らないが(*タイトルは「おっさんが〜」である)、彼女たちがしきりにコンビニのエロ本コーナーを潰させるのに「子どもが〜」を持ちだす理由としては、生物学の生活史理論(Life History Theory)から自ずと答えが見つかるだろう。
動物個体が、その遺伝子の次世代の容れ物である子ども個体を早期から生殖競争に参戦させることは──子どもがオスであれ、メスであれ──適応度低下に繋がる。まず競争を行う上で不利だし、交渉を行う上でも不利だからだ。
(そしてその不利につけこんで、子供を大人扱いして、生殖競争のライバルや生殖相手とみなすようなヤツは、ぶっ叩かなくてはならない)
ホ乳類はそのために、「子ども」が大人たちと混ざって生殖競争を繰り広げても十分対等にヤレるようになるまで(“ 準備 ”がちゃんと整うまで)、その競争=モテ戦争からは子どもを遠ざけておこうとするのだ。
その派生によって、エロ=子どもにとって害悪!(“子どもの眠りを妨害するな” )の流れが生じる。
──ただ、これが過剰になりすぎると、「思春期」という生物学的な準備期間に、ろくに “準備” すらも出来ませんでしたなんて自体にもなるので、世の中のママの暴走には気をつけた方がいいし、気をつけさせた方がいい。
男は、日々の社会生活を営む中で、思いがけずエロいおやつに遭遇すると、頭が瞬時におちんちんモードに切り替わる(ココロの配偶者獲得モジュールが発動されるため)。
そうなるとモラルの思考は大きく優先順位を引き下げられ、社会性はかなぐり捨てられ、「目の前のオッパイになんとかむしゃぶりつく為に、俺がいま成せることは何だろうか?」──という極めて早急な問題解決思考プログラムが脳みそPC上に立ち上げられる。
──そして、進化の歴史上、その問題を解決するのに最も有効な手段は
「むずかしく考え過ぎないこと」だった。
難しく考えだすと 結局全てが嫌になって
そっと 逃げ出したくなるけど
──だから男は、オンナのオッパイを目にした途端、みんなアホ人格に切り替わるように出来ている。(これが心のモジュール理論で、さまざまなエビデンスをもとに、心理学界において今もっとも強く支持されているココロ機構の解釈だ)
これは、ある意味、すべての男が生まれながらに抱えている脳機能障害と言ってもいい。
エロに対する男のおちんちん反応の不可抗力は、一種のてんかんの発作に近いところがある。
てんかん持ちのトラックドライバーが、いつそれが作動するか分からずに仕事中いつもどこか不安を覚えているように、
社会的なモラルを逸脱しないよう、つねに神経を張り巡らせているマジメな人ほど、脳のおちんちんモードがおもわず起動してしまうことを強く警戒し、
自らの地位を脅かすものとして恐れ、その"事故"を誘発しかねない刺激物を目にした際には激怒する。
「オンナに安易に手を出すこと」の生存リスク
たとえば(いま流行りの)セクハラの摘発によって、社会的地位を引き摺り下ろされてしまうリスクというものがある。
これは決して近年になってから生まれた事象というわけではなくて、
「オンナを誘ったり、誘惑に負けてオンナに手を出したことが原因で、他のオスからブチ殺される」
という事例は、人類史600万年間のほとんどを通して非常に頻繁に繰り返されてきた事に違いない。
なぜなら、オス同士の戦いというものは、有性生殖がはじまった頃から普遍的に、メスとのセックス獲得権を掛けて行われてきたものだからだ。
オスが争うのは、根本的にはメスを掛けて争うためだ。なぜか?それは、メスが、争い(競争)に勝ったオスを“優秀な遺伝子の持ち主”として自らの配偶相手に選ぶということを進化の歴史上ずっと繰り返してきたからだ。
オスが概して攻撃的なのは、まぎれもなくメスが望んだ結果と言っていい。そうやって弱肉強食の競争をして、種としての遺伝子プールの質を向上させることが、オスという“新たな性”が発明された理由でもあり、俺たちに与えられた使命でもある。
──そうならば、「オンナが欲しい」という気持ちをエロによって掻き立てられることは、イコールで生存リスクの勘案を生む。みだりに性欲を掻き立てられたのなら、ブチ切れるのは当然だ。
“ 女はみんな「ハニートラップ」”
──「ハニートラップ」とはまさに言い得て妙な表現だ。男にとって「オンナ」とは、ゴキブリがホイホイされてしまう箱よりもはるかにイージーに呆気なくチョロく引っ掛かってしまう罠(トラップ)であり、れっきとした誘引装置である。
そのようなものに対しては、男が「警戒する」のは当然のことだ。特に、恋愛の所作を知らない非モテなおっさん達にとっては重要なセキュリティになる。
安易に引き寄せられてしまうと、“害虫”として駆除されかねない。そのようなハニー=エロにはブチ切れて当然だ。
ココロの防衛機制(ディフェンスメカニズム)の作動
──非モテなおっさんたちにとっては、このシステムによってガラスのハートを防護することは不可欠だ。
自らの「非モテ」性、「オンナに相手にされない」ということをありのままに直視し受け止め、受け容れるのは、有性生殖動物にとってはあまりにつらくて苦しい現実だ。
それは、異性の獲得をめぐって争うために(そうやって多様性を現出させて競争し、遺伝子プールのクオリティを向上させるために)出現したオスの身としてはとくに、絶対に受け入れたくないものだ。
だからこそ、個体を守るためにココロは「あのブドウはきっと酸っぱいに決まってる→だから求める必要はない」というふうに現実を捻じ曲げることで欲求を抑制する仕組みを備えている。
そうするのことで“ブドウが食べたい”という意識を封じ込め、忘却してしまうことができる。
しかし、そうやって封印された意識が、たとえばエロによって目覚めてしまう。「ああ、俺はブドウが欲しい、欲しいんだ」と自らの欺瞞性に気づかされてしまう。そうなる前に、何とかしようとブチ切れるのは当然だ。
──ここまで、「意思決定の確かさがブレる」ことで自らの生存や地位が脅かされてしまう(地位は、生殖競争に勝つためのものなのだが)→だからエロにブチギレる、ということを見てきた。
しかし、彼らがブチギレるのにはもう一つ理由がある。エロ禁止令こそが彼らの権力を増強させてきたものである、ということについて見ていきたい。
「モラル」という権力機構の崩壊
──「モラル」はヒトが互いに生存・生殖競争を行うなかで自然発生してきた、もしくは人工発生した(人工も自然である)社会機構だ。
ここでは、「性に関するモラル」というものを見てみよう。
• まず、第一にあげられるものとして、複数異性の確保の禁止がある。
これは自然界においてごく一般的な一夫多妻システムを禁ずることで、モテないオスにもメスを一匹ずつ平等に配分しようという共産主義的発想によるものだ。
アウストラロピテクスの頃には一部のモテるオスが群れの大半のメスを独占していたが、ヒト社会に民主主義──1人1票のシステム──が浸透しはじめた頃から徐々にマジョリティたる非モテサイドが力をつけはじめ、ついにはキリスト教の社会浸透によりこの「モラル」は決定的なものになったわけだ。
これによって得したのは当然ながら冴えない非モテ男たちで、本来は異性を捕まえて子孫を残すことが出来なかった者たちだ。
• 第二にあげられるのは、貞操観念だ。
非モテはヒトの恋愛システムに共産主義思想を持ち込んだと述べたが、そのイデオロギーに基づき政治を裁くのに欠かせないのが経済統制の徹底である。
これはどういうことか。個人は勝手にモノを売り買いするな、ということだ。お上の承認をもらわない限り売買は不可。一度購入したものは転売不可。
──こうして個人同士がやり取りするフリマ形式のメルカリセックスは禁止された。
ヤるなら公の場で "永遠の愛" を誓ってから、そしてそれが親や家族を含む周囲の人間に認められてからにせよ。
裏で隠れてコソコソと恋愛やセックスの違法取引をしてる奴らには村社会の掟でキッツい罰を与えるから覚悟しろ、と。
これはどういうことか。托卵の禁止である。卵ではなくて精だが、とにかく自分のオンナに他の男の子どもを孕んでもらっては困る、というわけだ。
──これら2つの性的モラルが人間社会で徹底されることで、ヒトの恋愛観は変化し、セックスの取引はfxや株のような短期トレードの形から不動産のような長期ホールド型へとおおよそ切り替わった。
いくら金持ち (イケメン) だろうと、家をいくつも同時所有したりはしない(※レンタルなら可能だろう)。だからこれは、家を持たない者(持たざる者、モテざる者)にとっては嬉しい社会改革だ。
異性としての魅力価値を多く持つ者(イケメン)によるオンナの複数占有が禁止されると、これまでのようなスタンスではセックスが売れなくなるために、多くの売り手は値下げを考えざるを得ない。
セックスは庶民向け価格にまで引き下げられ、異性としての魅力価値をそれほど持たない者たち(非モテ)でも手が届くようになる。
アウストラロピテクスの時代には、ほとんどの男にとって “贅沢品” であったオンナは、“嫁さん” として「一家に一台」という感じになった。──そうなれば、それをゲットするために誰もがガンバろうとおもう。
ラ=マルセイエーズを謳いながら行進したフランス革命軍がクッソ強かったように、フォルクスワーゲンを手に入れるためにみなが頑張った結果としてドイツの経済成長が加速したように、市民に等しく権利が“分配”されることは、群選択の要素において集団を有利にする。(アウトサイダーがいなくなる、というわけだ)
──その強さの起源が「モラル」である。
:ヒトや、あるいはチンパンジーは、同種間戦争を盛んに行う種族として知られている。群れ vs 群れ の戦争が起こるのは、共感=オキシトシン機能の発達に伴うもので、ようは"終わりなき復讐の連鎖"というヤツだ。
──そのことは、ホモサピエンス(に至る先祖)以外の人類がなぜこんなにも短期間で地球上から消滅したのか(少なくとも160万年前の時点では人類は7種存在した)からも窺いしれるだろう。
そこには群同士の大規模な戦争があった。人類進化においては群選択(種vs種/社会的集団vs社会的集団)の勘案がつねに不可欠であり、モラルはそのための武器として機能した。
群れ内で異性を巡って激しい争いを繰り広げるのではなく、そいつにも「セックス」、あるいは「嫁」を持たせて、集団の一員として構成した方が都合が良かったわけだ。
実際、仲のいい中年のオッサン同士の関係からは、驚くほど「モテ格差」という要素が排斥されている。モテるやつとモテないやつが、これほどモテ隔てなく連合するというのは──人間社会だけでなく、生物界全般においても──珍しい。
これは一夫一妻の結婚制度による、“エコロジー” な恩恵とも言えよう。
オッサン達はみな、何だかんだ──これまでの人生でモテてきたにせよ全くモテなかったにせよ、嫁が美人にせよブスにせよ──「嫁さんを各自一人ずつ貰い、同じようにガンバってる男」という共通の属性に、最終的にはすっぽり収まる事になる。
真面目なおっさんたちが真に恐れているのはこの社会システムが崩壊することだ。
──"ヤリチン/ヤリマン行為の氾濫"は、社会を結びつける“バンド”として機能している性的モラル意識(ひとりひとつまで!)の崩壊を先導するだろう。
──だからそれには、「“劣等種”という嘲り」「“卑しい”という見下し」「“悪”の糾弾」「“不潔”というツバ吐き」などの行為、精神がぶつけられる。
このような行為・精神は、“集団から何者かを「排斥」したい”ときに生じる典型的なヒト=ビヘイビアだ。
──それではヒトが一般に、社会集団から何者か(何物かの属性)を排斥したい、と思うのはどんな時だろうか?
世界史上において有名な"排斥、閉め出し"事例をテキトーに並べてみよう。
・キリスト教徒による金融業者(ユダヤ人)蔑視と、のちのロシア&東欧におけるポグロム、ナチスによるホロコースト
・ジョルダノブルーノやガリレオ、ダーウィンなどが憂き目にあった科学否定
・ブルボン朝絶頂時代のヨーロッパ諸国による“ルイ14世包囲網”
・市民が国王の首を絶ったフランス革命と、その封じ込め(ナポレオン戦争)
・共産主義社会の建設を目指したプロレタリア革命と、その封じ込め(対ソ干渉戦争)
・アメリカ大陸やオーストラリア大陸の「発見」以降継続したインディアン、アボリジニ虐殺
・WW1戦勝国連合によって莫大な賠償金がドイツに課されたヴェルサイユ条約
・毛沢東の文革やポルポトのクメールルージュなどインテリ階級虐殺
・アパルトヘイトなどに代表される黒人隔離政策
・4度の中東戦争を引き起こしたアラブ人によるイスラエル排斥闘争
・ISIS等による欧米勢力排斥テロ
──などなど。
また、21世紀の現代でまさに進行中のものとしてはトランプ政策などに代表的な移民差別政策(“国境の壁”)、またそのトランプ支持者に対する偏見、そしてセクハラ排斥のmetoo運動、アメリカの非モテがテロに走るインセル革命などが挙げられる。
──社会的排斥心。
すべて、ミクロなヒトの社会的排斥心が社会問題としてマクロ化したものだ。
そして、このヒトが持ちうる社会的排斥心は、突き詰めれば「モラル心」に起源するものだ。
なぜか?──モラル空間とは要するに、 “構成員の権利が相互に保障される秩序空間” のことであり、それはつまり互恵的利他主義(Reciprocal Altruism)のもとに立った、個体どうしによる適応度の共同維持機構──「同盟」である。
「モラル」が「同盟」であるがゆえに、「モラル心」には「差別心と排斥心」が必然的に伴う。
──志の違う奴、利益が食い違う奴、信用できない奴と決して「同盟」は組めない。だからそのような奴はグループから排斥する必要がある。
モラル空間の構成員ひとりひとりにとって最大の懸念となるものは、(構成員の)他者による「ズル」「裏切り」「利益拡充(侵害)」といった背信行為だ。
当たり前だが、モラル空間はただひとつ存在するのではなく、複数存在する。そしてモラルシステムの "構成員の権利保障" は、モラルグループを構成するメンバーに"のみ"適用されるルールだ。
そう、“モラル” という美しき精神は、“異なるモラル”を持つ集団には適用されない。
──社会問題は、モラルがある奴vsない奴の争いから生じるのではなく、二勢力のモラル=コンフリクトによって生じる。(「最近の若い奴はモラルが無い!」は事実ではなく、モラルが異なるというのが正しいだろう)
たとえばこれまで、上司に付き合って残業に従事することは遵モラル行為そのものだったが、欧米などではすでに反モラル行為と化しているし、日本でもその機運が少しずつ高まりつつある。
貴族や富裕層が乗る馬車の流れからクルマが登場した19世紀には、「歩行者がクルマに道を譲ること」こそが真っ当なモラルだったが、いまやその逆が当たり前にモラルとされている。
アンチ-トランプ勢力は、彼とその支持者を “モラルに欠ける人間(野蛮人)” として激しく非難し、ひどく貶めるが、トランプ本人やその支持層は、そのような行き過ぎたポリティカル=コレクトネスの態度こそ、“あるべき社会秩序の敵” =モラル違反だ としている。
──そしてそれは、たとえば将来的なAmazonプライムの姿のように、会員を特権的に優遇し、非会員を差別する構造ゆえに、まともな“社会人”として───社会共同体の一員として───生きていくためには、"年会費" を支払うことが人としてのマストになってくる。
いくら「嫌なら(会員に)なるな」が法律上は通用するにしても、もはやまともに暮らしていくうえで───アマゾンは世界中のリアルショップの駆逐を目標にしている───会員にならないという選択肢はあり得ない。
:それが「モラル」だ。
“淫乱女の侮蔑” は人類史においてもっとも初期に登場した"モラル"の一つと言えるだろう。
"当モラル=クラブは、淫乱ビッチ女の入会をお断りしております。予めご了承ください"──といった感じだ。
あるところに、一夫一妻制モラルに基づくヒトソサエティ(互恵的利他主義機構)があったとして、ヤリマンな女の子はそのモラル会員になれないために、その恩恵にあずかることができない。
──ただし、モラル会員でないからといって、社会そのものからも排斥されるというわけではない。二等市民、三等市民枠というものがあって、ヤリマンな女の子はそこに属することになる。
彼女らはモラル=クラブからは排斥されていて、互恵的利他関係の恩恵を活用できないからこそ、暮らしていくために、たとえばセックスをカネで「売る」ことになる。それを「買う」のはもちろん、“お忍び” のモラル会員だ。
モラル会員たちはみな、ふだんから、ヤリマンな女の子というものに対して── "一夫一妻モラル"に反して婚外サックスを盛んに行う人間に対して──
「“劣等種”という嘲り」「“卑しい”という見下し」「“悪”の糾弾」「“不潔”というツバ吐き」を行う。
それが彼らの"社会性の証明"になる。
いかに普段からお世話になっていても、である。ヤリマンな女の子はモラル空間の外側に弾き出されており、互恵的利他関係のもとにはない。
だから、ビッチにシモの世話になっておきながら/シモの世話をしてほしいと自ら強く望んでおきながら、一方でその子を「ひでぇクソオンナだ、豚だ」などと罵り、暴言を吐く(毎晩、AV女優の裸でシコりにシコっておきながら、同時に彼女を嘲る、見下す、軽蔑する)といった行為や精神性が両立できる。
──それは彼らの「モラル心」に照らしても、まるで問題がない事なのだ。
言って仕舞えば、西欧社会に “黒人奴隷” が存在したころの社会的状況に近い。
黒人奴隷は「社会」には属しているが、けっしてモラルスペースには入ることを許されない(“排斥”されている)。彼ら/彼女らはモラル会員でないからこそ、「持ち主」たちにとっても、その扱いにはモラルな意識がまるで及ばない。
そして、モラル心の高い社会的な人間の振る舞いとしては、モラルスペースに"彼ら"をけっして侵入させないことだ。同様の理由から、エロい女やエロいものは場から排斥されなければならない。“汚れる”からだ。
──繰り返すが、ヤリマンな女の子がモラル空間から弾き出されたそもそもの理由としては、彼女たちの「性的奔放さ」、「すぐに身体を許し婚外サックスを愉しむ態度」が、一夫一妻モラル空間(=同盟)の崩壊に繋がるからだ。
男たちはソーシャルな態度としてヤリマンを嫌悪するが、その一方でみんなヤリたい。みんなめちゃくちゃヤリタイが、モラル上は認めることができない(そして彼女が自分たちと同じモラル会員になることを認めるわけにはいかない)。
ヤリマン女の奉仕によって毎晩めちゃくちゃおちんちんがキモチよくなっていても、モラル心が高い人間であればあるほど、互恵性の感情はそこに生じず、むしろ自分の"矛盾"を取り繕うものとして、シバキあげ──黒人奴隷に対する鞭打ちに比するもの──がキツくなる。
"モラル"による社会秩序を維持するためには──みんなムラムラきてるし、その実ヤリたくて溜まらなくても──ソーシャルステートメントは「失せろ」になる。
そうしなければ、自らの “一級モラル会員” としての立場が危うくなる。彼女たちを侮辱するのは、自らの保身の為だ。
風俗嬢とコトを致した後に嬢に説教するおっさんは、口では「キミの身を心配して〜」などと言うが、その実おっさんは、みずからの保身と、"モラル会員証"剥奪の恐怖と、自己矛盾の解消の為に嬢を目一杯叱りつけている。
──なんて悲しい存在なんだろう。
おっさんは、性欲をセーブする、アタマを「マトモ」に保つ、身体コントロール権を維持するために感情システム:怒りを発動させる。
また、ハシタナイ!不貞!インラン!ビッチ!不倫野郎!といった普段からの罵りは、自らのモラル会員証剥奪を恐れてのココロの防衛機能であり、ソーシャルセキュリティとして役立つ。
「恥ずかしい」は “他者の不承認に対する恐れ” の感情だが、社会的な場でエロを目にした時のマジメなおっさんの反応はまさに、モラル会員証の剥奪を恐れてのものといえる。
そのような"社会性"が脳みそでたしかに機能しながら、しかし一方でおっさんはオチンチンを気持ちよくしたい。
そこでヤリマンな女の子を"モラル外の存在"に貶める(“動物”として軽蔑/差別する)ことで、精神的にモラルの呪縛から逃れ、ヤリタイ放題ができるようになる。
コトが終わった後は、脳内で仮想的にでも “説教” をカマすことで、「エロを憎む自分」をリカバリーできる。
一夫一妻制モラル空間に会員の一人として居住し、周囲ともうまくやっていく為には、
「エロ」を“悪”と憎み「愛」を“善”として賞賛する思考態度
が、その進化上また現在において、もっとも適応的なものなのだ。
──このように歪んだ、圧迫された精神性が、マジメなおっさん独特の「エロへの不快・拒絶」反応を生じさせている。
その反応はおっさんの脳内意識を「社会性」モジュールが占めているときに発現し(逆に自室で一人の時などは素直にシコれるんだろう)、
アレルギー患者のようにエロいもの、ハシタナイものを目ざとく見つけては───ポニーテールがエロいだとか扇情的だとか笑えるが───「やめなさい!!」とおっさんをキレさせるようにできている。