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俺とオマエのFIGHT CLUB

女の『優しい人が好き♡』は、「優しいから→好きになった」という条件 or 因果の説明じゃなく「好きな人はわたしに優しかった」という意味の無い発言

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(さんざん説明しても分かってもらえないのでこんなくだらないエントリーが立つんだけど)

 

世の中には、オンナの「優しい人が好き♡」というステートメントが溢れてる

(あるいは誠実な人、一途な人など)

 

──じつはこれ、あまり意味のない発言だ。

 

 

どういうことかと言うと、この発言はいわゆるトートロジー的なものだからだ。

 

Q. どんな人が好き?

A. →好きな人が好き!

 

これがトートロジーだ。単なる繰り返しであり無意味なコトバ、ナンセンスだ。

(「わたしが好きな人は、好きな人である」)

 

あえて無意味さを伝える、という意味での発言なら、そこには無意味さを伝えるというメタな意味があり、意味がある。

 

だが、そんなものを話してる側が意図していないのなら、意味がない。

 

そして実際には、話してる側も、聞いてる側も、それがトートロジーになっていて、意味をなしていないことが気づいていない、という事が多い。

 

トートロジーの次の例を出そう。

 

Q.「世界平和のためには、どんな社会にすべきか?」
A.「戦争の起きない社会にしたら良い」

 

──ナンセンスだ。論のその後の展開によっては本質をついたものにもなるが、そんな深いところには通常至らない。

 

この発言は「平和な社会にするにはどうしたらいいと思う??」→「平和な社会にしたらいいと思う」というもので、まったくもって意味がない。おちんちんだ。

 

 

──じゃあ、女の「優しい人が好き♡」について考えてみよう。

 

Q.好きになるのはどんな人?
A.優しい人!

 

これがなぜトートロジーになっているかの理解が難しいのは「優しい」という言葉の性質、イメージのせいだ。

 

仮に、ここで「優しい」を「ハグをする」に置き換えてみると、こうなる。

 

Q.好きになるのはどんな人?
A.ハグしてくれる人!

 

──トートロジーな構造が見えてきただろうか?好きな人とハグする人って一緒じゃね?

 

勿論、一般的な理解として、「好きになるのはどんな人?」が暗に聞いている内容とは「どんな理由であなたは人を好きになるの? (Why) 」ということだ。

 

──だがその一方で、「好きになるのはどんな人?」というフレーズは、そのままの日本語の意味では、「(あなたが) 好きになる人」を表す形容詞(C)をも、聞いている。

 

前者の「好きになるのはどんな人(どんな理由で好きになる)?」に対しての返答が「カッコいい人」ならば、「カッコいい→だから好き」という解釈になる。

 

後者の「好きになるのはどんな人(“あなたが好きになる人” を表す形容詞は)?」に対しての返答が「カッコいい人」ならば、「好きな人=カッコいい」という解釈になる。

 

違いがわからん、という奴もいるかもしれないが、まぁ実際大した違いじゃ無い (かもしれない) 。

「俺、甘いからチョコレートが好き」と「俺、チョコレート好き、チョコ甘い」の差だ。理解は気合だ。

 

 

──ところで人間は、その脳みそがトートロジーを嫌い、因果を好むので、理由がない事にも理由をつけたい生き物だ。

 

「なぜ山に登るのか?(Why)」と聞かれて、「山に登りたいからだ(Because I want)」と答えられる奴はなかなか大物だ。

 

ふつうは、そんなことを聞かれたら、ただ登りたいから登るんだけど、とはいえず、何か理由を取ってつけたくなる。空気気持ちいいじゃん、とか。

 

そう考えた瞬間、答えた瞬間、人間は「登りたいと思ったから」というもともとの理由を捨てて、「気持ちいい空気を吸いたくなって」と自分の行動の理由を、脳みその中で新しいのに更新する。

 

なんで山登るの?と聞いた側も、その理由の説明にたいていは納得する。

 

あるいは、本来は「山に登りたいからだ」でしかないのに、「なんとなく、山に登りたい気分になって。そんな時ってありません?」みたいに言えば、

 

聞いてる側も(ああ、“ なんとなくそんな気分 ” の時って確かにあるよな、理由もなく何かをやりたくなる時って、)と納得する。

 

──もちろん、「なんとなく理由もない行動をやりたい気分になったから」は本来の理由じゃない。シンプルに、「山に登りたくなったから」だ。

 

 

果てしなく道筋のない文章を、道筋を整えて綺麗に終わらせることは難しい。

 

 

さっきの仮定通りに、オンナの「優しい男が好き」を「ハグしてくれる男が好き」と言い換えてみよう。


1.まず、オンナがある男を好きになって、彼氏にしたとしよう

 

2.彼氏になったんだから、その男は彼女にハグをするだろう

 

3.そうすると彼女は「ハグしてくれる人、好き」と思うだろう

 

 

〜別れた後の話〜

 

・女が「どんな人を好きになる?」と聞かれたらどう答えるだろう。

──ハグしてくれる人が好き、と言う(かもしれない)。

 

・女が「ハグをしてくれる人は好き?嫌い?」と聞かれたらどう答えるだろう。

──もちろん「好き」というだろう。

 

 

このやり取り、はっきり言って意味がない。

 

──だって、好きな男、彼氏だった男はみんな彼女にハグをするんだから。

 

でもハグをしてくれるから好きになった(因果)わけじゃないだろう。

 

「好きな人同士」である結果の必然として、彼女は男にハグをして、男は彼女にハグをしたんだろう。

 

いってみれば、「彼氏(=好きな人)」というものの属性には、「ハグをしてくれる人」という性質が含まれている。

 

──ゆえに、それが "因果関係" のフレームを暗に伴った「ハグしてくれる人が好き」(ハグしてくれるから→好き)という発言は誤りだ。

 

それを言うなら、「わたしの好きな人(彼氏) はハグしてくれるの」(好きな人=ハグしてくれる)だ。

 

 

さて、ここでさっき勝手に置き換えた「ハグ」と「優しさ」を元に戻して、もう一度考えてみよう。

 

1.まず、オンナがある男を好きになって、彼氏にしたとしよう

2.彼氏なんだから、その男は彼女が好きなわけで、もちろん優しいだろう

3.そうすると彼女は「優しい人、好き」と思うだろう(彼女が彼氏に対して「好き」を強く感じる瞬間とは、もちろん「優しさ」につよく紐付いた瞬間だろう)

 

どんな人が好き?→ 優しい人が好き

 

トートロジーな構造が浮かんでくる。

 

 

──分かりやすくしてるだけで、これは別に「彼氏」でなくても構わない。そのまま「好きな人」にして考えよう。

 

1.まず、オンナがある男を好きになって、好意的に振る舞ったとしよう

 

2.男は、好意的に接してくるオンナに対してはもちろん優しいだろう

 

3.そうすると彼女は「優しい人、好き」と思うだろう

 

──つまりは、こういう構造だ。

 

男は、オンナから好きになられた時点で、誰もかれもある程度以上「優しく」なる生き物だ。

──なぜなら、それが進化上、適応的だったからだ。ワンチャンある子に優しく振る舞わない男はほぼいない。

 

(女はそうはならない:男はセックスチャンスも利益になるが、女は、それが本当に好きな男からの好意でない限り、妊娠リスクは避けなければならないし、勘違いさせてはいけないからだ)

 

ひっくり返すと、

 

女は、あるオトコを好きになった時点で、その男からはある程度以上「優しく」される、ということになる。

 

──で、優しい!好き!となる。

 

 

つまり「優しい人が好き♡」という女の発言は、男にとってはなんの役にも立たない。その情報の口説きbit数は限りなく低く、無意味だ。

 

オンナが好きになった時点で、男はみんな優しくなるので、

──あるいは、その「好き」に応えるような男(女がさらに好きな男)はさらに女にとって優しくなるので──

・・女の好きな人が「優しい」のは当たり前のことだ。

 

だからといって、女は優しいから→好きになった、というわけではない。

 

もちろんそういうこともあるのだけど、大抵の場合はそうじゃあない。

 

多くの場合は「好きになった人に優しくされてさらに好きになった」ということで

好き → 優しい → 好き

 

あるいは「好きになった人が『好き』を返してくれたから (or 返してくれるような男が) 好き」ということで、

(これは自分の「好き」に「好き」で返してくれることが女の中で「優しい」と認識・表現されている)

 

──オンナがいう「優しい人が好き♡」はそういう当たり前のことを言っているだけだ。

 

 

ちなみに言っておくと、

 

オンナは好きな男や、彼氏の振る舞いに関して、無限の「優しさ」を感じるようにできている。

 

その男がどれだけ優しくなくても、いや、優しくなければないほど(ジャイアン理論じゃないが)、

恋人として当然のことや、好いてくれている相手に対して当然のことをたまに男がするだけで、「優しい♡」となる。

 

──極論、男がふつうにある女とキスをして、ハグをして、セックスをするだけで、その男のことを女が好きな場合、その男は彼女の中で「優しい♡」と評価されると思う。

 

──これが、オンナが “優しい男” を好きな理由だ。

 

すべての男は、オンナが「優しい人が好き」と言っていたからと言って、「優しくすることで好きになってもらおう」というアホな戦略を立てるべきじゃあない。

 

そうではなく、トートロジーに言えば、「好きになってもらうことで好きになってもらおう」とやるのが正解だ。

 

つまりは「まず、好きにさせる」こと。

 

好きにならせる、気にならせるが先。「優しくする」はその後。──というか、好きにさせるツールの一つ、くらいに考えておくべき。

 

「優しくしよう」と努力するのでなく、「好きにさせよう」と努力すること。

 

恋愛においてはこの二つはまるで異なる。「優しくする」が「好きにさせる」に直結するのは、社会的好印象や、親切心とかが二者を結びつけるボンドとなる、通常の人間関係においてのみ、だ。

 

恋愛はそんなに単純ではない。

 

なぜなら、すべての人の「好意」に同じ量を「お返事」していては、おおよそ恋愛という行為は成り立たないからだ。

 

男女関係においてそれをヤるのは生粋のヤリチン素質を持ってる男くらいで、たいていの人間にとって、「恋愛関係」とはひどく差別的な感情の上に成り立つ。

 

"君だけ"とは"他のやつは失せろ"

ということだ。

 

 

だからこそ、

 

男の「好きになってもらうために優しくしよう」戦略はろくに機能しない。

 

あるヒトが、あるヒトとの社会的関係を構築しようとする場合──それはサルの“毛づくろい” 文化から生まれたものだが──「優しさのお返し」戦略を利用しようとする。

 

つまり、自ら先んじて相手に優しくする(毛づくろいをする)ことで、相手から優しさが返ってくる(毛づくろいのお返し)ことを狙ったものだ。

 

こんな感じだ。

 

優しくする ⇆ 優しくする

 

 

だが、これを用いて恋愛関係を構築しようとするのはアホだ。優しくする⇆優しくする は恋愛に持ち込めない。

 

オンナがすべての男からの「エッチな優しさ」に「エッチな優しさ」で応えられるわけがない(応えたくない)し、

社会的な相互助け合い保険に入れる、という明確なメリットが存在する通常の人間関係とは異なり、たいして魅力を感じない男とセフレになることは、たいていの場合、女にはまったくもって利益がない(ムダな妊娠回避の本能)からだ。

 

クンニする ⇆ フェラする

 

 

──そんなもん、恋愛においては成り立たない。当たり前だろう。

 

 

オンナに「好きになってもらう」ための戦略として、「優しくする」しか知らない男は不幸だ。──不幸だが、でもたぶん、率直にアタマがアレなんだろう。

 

「クンニ (優しく) するからフェラ (優しく) して」

 

──そんなの恋愛で成り立つわけがないし、女は「クンニ(優しく) してくれたら好きになる♡」なんて言ってない。*

[* "優しさ"の話である。生理学的には、クンニは発情プロセスにおいて有効ではある]

 

 

──まず「好きにさせること」。クンニ (優しさ) はその後でいい。

 

“その後” のクンニこそ、つまりは好きになった男から優しさが “返ってくる” ことこそ、女を大いに興奮させる。

 

これは「好き」を引き起こすドーパミン回路の性質によるものだが、すべての男は「お返し」の立場に立つことを意識しておこう。

 

──そのとき、「優しさ」は最大効力を発揮する。

 

 

 

 

 

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