FIGHT CLUB

俺とオマエのFIGHT CLUB

マズローの「欲求ピラミッド」を再構築しよう:すべては愛とセックスのためにある──進化心理学による新たなピラミッドセオリー(前編)

f:id:nonnojoshi:20180613120101j:image

 

www.youtube.com

“ All you need is love, love, love is all you need ”

John LennonThe Beatles

 

 

 

まずはこの図を見て欲しい。

 

 

f:id:nonnojoshi:20180613124856j:image

 

 

──この「謎のピラミッド図を人生でただの一度も目にしたことがないなんて人はいないだろう。

 

そう、心理学から経営学、経済学、マーケティング、法学、社会学、行動科学、またちょっとした精神医学の導入書に至るまで、あらゆる分野の教科書に載ってる例のアレ、

マズローの欲求5段階説(Maslow's hierarchy of needs)だ。

 

もういまから80年ほど前の理論になるが、21世紀の現在も未だに熱心なファンが多く、居酒屋の店長がバイト達に熱く語っていたりする(「ジコジツゲン」。ちゃんと感じながら仕事してるか?)

 

 

しかし──見ての通り、このピラミッドは生物学的前提をガン無視している。

 

マズローはヒトの「人間」としての側面にひたすら注目し、その生涯の最期までわれわれホモ・サピエンス「生物」として扱うことがなかった。

 

また、その晩年になってマズローは、自らの愛するピラミッドの頂点に「自己超越の欲求」なるものをつけ加えている。

──これこそまさに彼のホンネと言ってもいいものだ。この理論は彼の願望であり、理想に過ぎない。

 

  • 「オレはもう自己実現の"レベル"にいるんだけど・・・あれ?オマエら何してんの?レベル低っ」

 

  • 「あー、自己超越してぇなぁ...もっとレベル高いとこ行きてぇなぁ....」

 

──このおっさんは、自分がやってることが地位や承認を追い求めるフェーズにあることに気づいていない。

 

マズローの欲求理論とはつまり、個人哲学、社会哲学としての“人間のあるべき姿” という規範的なモデルの提唱に過ぎない。

本来ならば、到底として、世界中のあらゆる学問分野の教科書に挿しこまれるに値するものではない。

 

f:id:nonnojoshi:20180613150759j:image

 

 

現代の心理学では、マズローの欲求5段階説(あるいは自己実現理論)はおおよそ否定されている。

 

アブラハム・マズローの「人間の欲求の仕組みとはこうだ」という説が、当時の心理学会において熱狂的に受け入れられた背景には、

知識階級や学者界隈の人間たちによるジークムント・フロイトへの反発──“「すべては性欲だ」とかフザけるな!”──があったことだろう。

 

たしかにフロイト心理学の研究分析手法には多分に問題があった。

 

しかし忘れてはいけないのは、知識階級や学者界隈の人間にとって、この世でもっともそれは事実と認めるのが難しい事こそ

 

「俺はオナザル。ホントは女のコといっぱいエッチがしたい」

 

といった類のものなのだ。

 

f:id:nonnojoshi:20180613150350j:image

 

──ルサンチマンについて語りだせば、話が大きく脇道に逸れてしまう。ではここで、マズローの欲求理論の構造を改めてサクッとみておこう。

 

マズローの欲求5段階説

1 生理的欲求(食物、水、空気、性等)

2 安全の欲求(安定、保護、恐怖・不安からの自由等)

3 所属と愛の欲求(集団の一員であること、他者との愛情関係等)

4 承認(自尊心)の欲求(有能さ、自尊心、他者からの承認等)

自己実現の欲求(自分がなりうるものになること)

※1がもっとも低次の欲求、5が最も高次の欲求。低次の欲求(ピラミッドの下段)がきちんと満たされているほど、上層の欲求が喚起されやすく、また満たされやすいとする。

f:id:nonnojoshi:20180613150302j:image


──まるで道徳の教科書。

たしかに聞こえはいい。ワードの耳触りもいいから納得もしてしまう。

 

俺たち人間はふだんから「四六時中惰眠を貪るヤツ」「食欲を制御できないヤツ」「オナニーに明け暮れてるヤツ」を意識的/無意識的に見下しているし、

 

一方で「なりたい自分」という夢のために努力し、その実現に向けてひた走る人々のことを「スゲエわ」「カッケェな」と尊敬し、讃え、憧れている。

 

そのような “実感” に照らしあわせて考えると、マズローの欲求理論はかなりの説得力を帯びているように思われる。

 

そして「これこそ俺たちが求めていたものだ!」と意識の高い=教養ある人々の誰もが思う。現在も人間教育の場に広く採り入れられていることからもわかるように、このようなモラリーな欲求理論には──当時それに反するものがフロイトの性欲理論であったことも相まって──かなりの社会需要があったのだ。

(こうして、このおっさんの人生哲学は、今なお世界中の大学生に布教されている)

f:id:nonnojoshi:20180613155531j:image

 

 

マズロー自己実現の欲求」というものをもっとも高い次元 (階層) に置き、「生理的欲求」をもっとも低い次元(階層)に置いている。「性的欲求」はこの最下層に含まれる。

 

マズローの理論において「性的欲求」とは排泄欲と同じようなもので、“ 各自テキトーに処理しなさい、それは凄くどうでもいいものだから ”と取るに足りないという扱われ方をされている(マジメなおっさんに多い、性に不真面目な態度)。

 

そして、本人の発言からもうかがい知れるように、自己実現の欲求」こそがもっとも“高尚”なものであり、人間が最後にたどり着く場所なのだという。

 

すべての下層欲求はそこにたどり着くまでの「段階」でしかなく、最後にたどり着く場所である「自己実現の欲求」というものの土台なのだ、という。

 

──うーん、オナニー。

マズロー先生、キモチよくなり過ぎや♡)


俺たちニンゲンは、どうしても「人間オンリー」の部分に注目し、そこに何らかの特異性大きな価値を見出そうとする脳みそのバイアスに取り憑かれている。「人間は特別だ」というわけだ。

(果たしてチンパンジーは「俺たちは特別だ」とは思わないのだろうか?)

f:id:nonnojoshi:20180613160723j:image

 

そして、人間たちが掲げるその立派な ヒューマニズムの裏側には、人間以外の「動物」に対する軽蔑(Look down)というものが潜んでいる。

 

──マズローがやったのも同じことだ。

 

「わたしはピラミッドの頂上にいる。低次な欲求に取り憑かれている人間(=動物)たちよ、考えを悔い改めなさい」

 

彼は “下層” に住む“下衆” な人間たちに向けてそう言った。そして憐れんだ。

 

「スラム階層の人々の強欲は欠乏の意識から生まれている。それを満たしてあげれば“成長”の段階、自己実現に向けて努力するようになるんだ」

 

このようなご高説の結果として、実際に彼が手にしたものとは?


──社会的な地位と名声、多くの資産、オンナからの求愛だ。

 

ロシアのポグロム (ユダヤ人に対する民間迫害) から逃れ、アメリカにやってきた貧しい移民者のマズローは、この理論を唱えることで、あっという間に社会の階段を上へ上へと駆け昇っていった。

f:id:nonnojoshi:20180613145921j:image

 

 

 

 

「欲求ピラミッド」の再構築(生物学的知見と進化論の視野を取り入れて)

f:id:nonnojoshi:20180613163240j:image

 

たとえ「人間は動物じゃない!」と主張する人たちが世界のマジョリティを占めていようとも、生物学者のほとんど一致した見解としては、ヒトはまぎれもなく「生物」であり、動物の一種だ。

──そして、あらゆる「生物」は生物学的にデザイン(設計)された遺伝子プログラムを基盤にして行動し、生きている。ヒトだけがその例外というわけにいかない。

 

人間心理についての探求の歴史は長く、培われてきた研究量は膨大だ。心理学者たちはその土台の上に立っていようとするあまり、生物進化という視点を見落としてきた。彼らはチンパンジーのココロを探り、それと照らし合わせることでヒトの心理構造も見えてくるはずだとはまるで考えなかったのだ。

 

──とはいえ、進化論と遺伝子学の歴史はまだまだ日が浅い。

 

ダーウィンが1859年に種の起源を著し、メンデルの遺伝子論文が1900年ごろ学会を賑わせる。ヘッケルが解剖学の知識を活かして生命の系統樹を作ったのが1900年代初頭で、モーガンは1933年にショウジョウバエの交雑実験から遺伝子の存在を証明し、ノーベル生理学賞を受賞した。

f:id:nonnojoshi:20180628205817j:image

 

その後、第二次世界大戦中の1944年にアベリーが「遺伝子とはデオキシリボ核酸のことだ」と考察した論文を提出する。ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を解き明かしてノーベル生理学賞を受けたのがようやくの1962年になる。

f:id:nonnojoshi:20180628205820j:image

 

さらに、ハミルトン革命と、ドーキンス利己的遺伝子論(1976)の影響により、ダーウィン進化論には重大な修正──増殖し、連綿と生き残っていこうとする進化システムの主は“種”ではなく“遺伝子”であり、生物個体はその媒体(=コピー機)に過ぎないという概念──がつけ加えられた。

f:id:nonnojoshi:20180628204840j:image

 

ダーウィンを受け継ぐ「進化生物学(Evolutionary Biology)」と伝統的な「心理学」が本格的に融合しはじめたのは1990年代初頭だ。それによって誕生したまだ比較的若い学問、進化心理学(Evolutionary Psychology) の共通の礎となっているアイデア

 

「ヒトの脳と心理メカニズムは、生物進化の結果生じた“適応物(Adaptations)”である」

 

というもので、トゥービー&コスミデスはその考えを以下のように述べる。

 

1.脳とは自然淘汰によってデザインされた、環境から情報を抽出する“コンピュータ”である。

2.個々の人間の行動は、この進化したコンピューターによって環境から抽出した“情報”に応じて生じる。行動を理解するには、行動を生んだ“認知的プログラム”を明瞭にする必要がある。

3.人の脳の認知的プログラムは“適応物”である。これらが存在するのは、祖先が生き残って繁殖することができるような行動を生み出すためである。 

4.人の脳の認知的プログラムは今では適応ではないかもしれない。これらは祖先の環境においては適応的だった。

5.自然淘汰によって生じたのが、脳は多くの異なる特殊な用途のプログラムから成り立つシステムであって単一の一般的な構造物ではないということである。

6.“進化した計算する構造物”である私たちの脳を描き出すことは、文化的社会的現象をきちんと理解するのに役立つ。

f:id:nonnojoshi:20180628204858j:image

 

ドーキンスが度々強調しているように、

進化論とは“FUTURE”ではなく“HISTORY”だ。

 

「人間が遺伝子の生存と繁栄のためにデザインされている」と聞けば大仰な話に聞こえるかもしれないが、それは人間が「デザイン」と聞いてイメージするものが、デザイナーの仕事──“未来” と “先” を読み、使用目的に合わせて形を整える というクリエーションだからだ。

 

一方、自然界における「デザイン」──「進化」は、過去の失敗(淘汰)から自然選択によって直接選ばれ、漸進的に幸福(生存と繁栄)をひとつずつ積み上げてきたということの “結果” だ。

 

ドーキンスはそのような "デザインされたように見えるモノ" のことを、人工的にデザインされたものと区別するために「デザノイド物体」と呼ぶことを提唱している。

 

ヒラメはなぜ、こんなにもデザイン的にビミョーな姿(右目と左目がブサイクに片側に寄っている、平衡感覚が取りづらく機能性はイマイチ)なのか? ──それはヒラメがデザノイド物体だからだ。

f:id:nonnojoshi:20180628211337j:image

 

「砂底に張り付き、隠れて獲物を狙おう→目を片方に寄せれば機能的!」

 

このアイデアは理解できる。だが、もし、ヒラメがあるデザイナーによって人工的に「デザイン」されたモノであれば、平べったい身体にするにしても、きっと、両目を偏らせて視覚を歪ませることなく、エイのように均等に(上部に)配置するのではないだろうか。

f:id:nonnojoshi:20180628212717j:image

──ヒラメはなぜそうしなかったか?

それはヒラメが誰かの手によってデザインされた未来志向の作品ではなく、過去の積み重ねの結果としてそうなったに過ぎないデザノイド物体だからだ。

 

ヒラメの祖先は言うまでもなく、縦に長いお魚さんである。一方、エイの祖先は横に平べったい鮫さんである。進化は都市の再開発計画のようには進まない。地下室のガラクタを微調整したり改善したりして、古い基礎の上にそのまま築かれていくものだ。

 

ヒラメは縦に長いお魚さんであった歴史を捨てられない。だから砂底に潜むにしても、縦に長い身体をエイのように平べったく伏せることはできず、そのまま横倒すことを考えた(その結果として、目の配置は歪み、めちゃくちゃ泳ぎがヘタになってしまった)。

 

──しかし、ここで再度強調しておきたいのは「進化は偶然の産物ではない」ということだ。

 

ダーウィンは進化を “偶然” では説明していない。むしろ、自然選択の非・偶然性(non-random process)を唱えたところに彼の骨頂がある。

 

はじめの「遺伝子の突然変異(=コピーミス)」はたしかにランダムに生じるが、それを「自然選択」する力はけっしてランダムには働かない

──「生存」と「生殖」に適応的でないと、というルールに基づくのだ。

 

たとえば、「これから50年もすれば子供を産まない人間が社会の大多数になってるだろう」などという人がいる。しかし、そんなことはありえない。

 

「子供を産まない」ことを "変異"とするならば、その "変異" はけっして子どもには遺伝しないし、後世には受け継がれていかないからだなんて “不平等” な仕組みなんだろう!)。

f:id:nonnojoshi:20181020105855j:image

 

 

──以上のように、進化のクリエイト=デザインとは新たな未来に向けた創造物ではなく、膨大な過去の歴史遺産だ。

 

だからこそ、"ヒトのデザイン"が「ホ乳類の歴史」や「霊長類の歴史」と完全に隔絶された何か新しいものであるということはあり得ない。

 

「ヒトは動物とは違う」という言説は、俺たちホモサピの身体や脳が歴史遺産であることを忘れた愚かな発言といえる。

f:id:nonnojoshi:20180628223552j:image

 (アフリカに住むボノボの母親と子ども。最新の進化生物学界では、ヒトはチンパンジーの祖先から「ネオテニー進化」して生まれた類人猿であるとの説が有力視されはじめている。ボノボは、解剖学的には、ちょうどその変異過程における ”中間形態” に当たるであろう種だ)

 

 

“まったく生物学的実態に即していないマズローのピラミッドはもう捨てて、現実に合った新しいものを建て直そう”

 

──そう提唱しているのが、チャルディーニの一番弟子でもあり、アリゾナ州立大で教授を務める著名な進化心理学者、ダグラス=ケンリックだ。彼はその主著『Sex, Murder, and the Meaning of Life / 邦題:野蛮な進化心理学』においてマズローのピラミッドについて以下のように評している。

 

f:id:nonnojoshi:20180831142625j:plain

 

マズローのピラミッドの一番の問題は、ヒトの一生において繁殖が持つ中心的な重要性を彼が理解していなかった点にあるように思える。

 

確かに、彼は著書のなかでセックスについて時折言及しているが、大抵の場合は単純な生理的欲求としてしか扱っていない。つまり、クラシックギターを弾いたり、詩を作ったりといった、もっと重大で高次の段階に移行する前に解消しておくべき卑俗な問題として扱っているのだ。

 

しかもマズローは、そうした性的な問題を解消した結果として生じる子育てなどのような、ヒトの繁殖に関わる他の側面についてはほとんど何も語っていない。 

(中略)

 

──しかし、人間以外の動物が詩を書いたり、曲をつくったり、ピラミッドを立てるために建築学を学んだりしないからといって、私たちの文化傾向が標準的な生物学から逸脱するものだと言えるだろうか?;この議論から、私たちの「気高い自己」という要素を取り除いてみれば、問題がはっきりしてくるはずだ。

 

コウモリは超音波を使って脳内に夜の世界を描くことができるが、ほとんどの動物はそんな能力は持っていない。同様に、ハチは偏光を利用して進路を決められるが、これまたほとんどの動物はその能力を持っていない。

 

──しかしだからといって、私たちはコウモリやハチの類まれな特性を、わざわざ「非生物学的」カテゴリに分類したりはしないだろう。

 

それと同じで、ヒトに特有だと思える行動を、すぐさま非生物学的と決めつけるべきではない。現在では、人間の創造的な才能のなかでも最も高度な領域が、基本的な生物学的プロセスと密接に結びついていることを示す証拠が多く見つかっているのだ。”

 

f:id:nonnojoshi:20180913032424j:plain

 

 

 

ケンリックがグリスケヴィシウスらとともに、進化心理学認知科学の分野から人間の基本動機についてさまざまな研究や実験を行い、その結果を元に新たに構築したのが、以下のようなヒトの欲求階層ピラミッドだ。(Kenrick,Griskevicius,et al 2010)

 

f:id:nonnojoshi:20180613164521j:plain

 

 

──さて、このケンリックの欲求ピラミッド(あるいは動機のピラミッド)は、ヒトという種の生物学的な側面を強く強調したものであり、進化生物学的な遺伝子中心(利己的遺伝子論)の考え方と、心理学の心のモジュール説(module theory of mind)、生物生態学生活史理論life history theory)*、その他生物学的な力学系理論などを広く組み合わせたものになっている。

 

 

 

ケンリックのこれは、“生物学的なプログラム”としてヒトに備わる基本的な欲望(desire)のすべてが究極的には「遺伝子生存」と「繁殖」を目指している──という進化生物学の考えによるものであり、「個体は自らの遺伝的適応度を高めるように行動する」という生物界のルールに符合するように設計されている。

 

ケンリックのピラミッドは最下層から順に

 

・自己防衛の欲求 (Self-Protection)

・病原菌回避の欲求 (Disease Avoidance)

・協力関係の欲求 (Affiliation)

・地位の欲求 (Status)

・配偶者の獲得欲求 (Mate Acquisition)

・配偶者の保持欲求 (Mate Retention)

・親族養育の欲求 (Parenting)

 

 

───と7段構成になっていて、それぞれの階層が、動物個体が持っている“進化上の基本的な欲求”をそれぞれ個別に担っている。

 

そしてこれはマズローのものと同様、赤ちゃんとして誕生してからの、ヒトの欲求が目覚める順番通りに積み上げられた「成長ピラミッド」にもなっている。

 

f:id:nonnojoshi:20180913025924j:plain

 

そして───、ここが重要だが、これらの欲求階層は互いにたびたび反目しあう。

 

たとえば、病原菌回避の欲求(“キモい”)と、協力関係の欲求(友達・同盟関係)は同じシーンでは共存できない。協力関係の欲求と地位の欲求も、オンナがたびたび友達から受けるマウンティングに辟易しているように、同じタイミングでは共存できない。

 

生物個体は、究極的には自らの遺伝子の「生存」と「繁栄」を求めているが、これを達成するためには、「オギャー!!」と産まれたその瞬間から「セックス!セックス!」と赤ん坊が叫びはじめることは全くもって適応的ではないだろう。

 

生物は「遺伝子の乗り物」だ。遺伝子サイドからすれば、せっかくピカピカの新車を買ってもらって“移住”したばかりなのに、いきなりエンジンを蒸して猛スピードで暴走し、次の日には廃車にしてしまう、なんて事態はできるだけ避けたいものだ。

 

だから遺伝子は、赤ん坊が大きくなるまではクルマの免許を取らせないどころか、「クルマをガンガン走らせたい」なんて欲求を抱かせないようにする。

 

クルマを走らせて「セックス!セックス!」みたいなワイルドスピード的な世界観に飛び込ませるのは、赤ん坊が成長して、十分にレースで戦える見込みがついてからだ。

 

f:id:nonnojoshi:20180913032140j:plain

 

 

まずはそんなことよりも、

 

  • 赤ん坊には暴走車の怖さ(=自己防衛の欲求)とか、車体整備の大切さ(=病気回避の欲求)とかを教えるべきだし、
  • 少年少女にはレースをともに戦うクルマ仲間の大切さ(=協力関係の欲求)とかを教えるべきだし、
  • 思春期ごろの男女には切磋琢磨するライバルを持つ重要性と、そこで勝ったり(男の場合)/ 負けないようにする(女の場合)ことを教えるべきだ。

(そしてもちろん、いい大人には扶養や子育ての楽しさややりがいを)

 

───これらのことはすべて、“遺伝子生存競争に勝ち抜く”という進化上の目的(for~)に最終的には向かうのだが、当の子供たちはそれを自覚していないし、成熟した大人たちもおおよそ自覚することはない。それはヒト以外の動物が自然界においてそうである(自覚していない)のと同じことだ。

f:id:nonnojoshi:20180913030124j:plain

 

 

ヒト個体自身が自覚していない以上、「お前が出世しようと思うのはオンナにモテたいと思うからだろう ! 」とか、「お前がインスタをキラキラさせようと思うのは、自分のブランド価値を高めてよりイイ男をゲットしたり、手厚い育児投資を受けたいと考えているからだろう !」とか、そんなことを追求しても、まるで意味がない。──本人たちはウソをついているわけではないからだ。

 

オシャレをする人たちの中には、本当に、それで異性の気を惹く気がまったくない人もいる。彼ら・彼女らはたんに「オシャレが楽しいから」それをしているのだ。

───なぜオシャレをするのが楽しいと感じるようにできているかといえばそれが生殖戦略に適うからなのだが、そんなことは当人たちの知ったことではない。

 

 f:id:nonnojoshi:20180913030548j:plain

 

 

───俺から言わせてもらうと、そのように生物個体に“目的”を自覚させず、シーンごとにそれぞれ別個の欲求を作動させるシステムは大いに適応的だ。 

 

メスに対して反応し、ゾンビのように追いかけるだけの“直線的な走性”しか持たないオスは、ヒト社会のみならず、多くの動物社会でも適応度は低い。興奮するだけでなくまずは冷静にアプローチリスクを鑑み、周囲を見渡すことが、確かな生存と、確かな生殖には不可欠だろう。

 

霊長類は群れ(社会)において複雑な個体関係を構築することが特徴であり、その利害関係は四方八方に絡まり合っている。ゆえに、欲求を階層化する必要性が、他の動物類と比べてもかなり高くなる。自己防衛、協力、地位といった欲求を個別に持たない個体──プロセス(手続き)を踏まずに、生殖だけに一目散に向かう個体は、このような社会ではすぐに淘汰されてしまうだろう。

f:id:nonnojoshi:20180913030353j:plain

 

 

実際、霊長類学者のドゥ・ヴァールは、手続きを踏まずにメスに手を出そうとしたチンパンジーのオスが、上位のオスから睨まれ、群れの中で除け者にされるといった政治闘争を観察し、著書『政治をするサル』のなかに記録している。

 

欲求(動機)は階層化がなされておかなくてはならない。生殖システムの前に、“自己防衛”システムを作動させることがないオスは、勝てる見込みのない上位オスが囲っているメスに手を出そうとして、すぐにブチ殺されてしまう。

 

ヒトも、まず「生存確保」の勘案があるからこそ、非モテ男たちは美女を前にして足をすくませる。その場面ではセックス獲得モード(配偶者の獲得欲求)ではなく、恐怖モード(自己防衛の欲求)だけを意識下に作動させる必要がある。セックス獲得モード(“ガンガンいこうぜ”)と自己防衛モードはあまりに相性が悪いので、意識というデスクトップに同時に立ち上げられることはない。

f:id:nonnojoshi:20180913031039j:plain

 

 

これは21世紀の心理学界で様々なエビデンスを基に広く支持を受けている「心のモジュール説(Modularity of mind)の考えに符合するものであり、前述したようにケンリックの欲求ピラミッドにはそれが取り入れられている。  

 

ケンリックは進化心理学的アプローチから、ヒトの心(意識、mind)を大きく7つの人格モードに分けることを提唱しており、彼はこれを7人のサブセルフ(下位自己)と呼んでいる。そしてそれらがピラミッドの欲求階層のひとつひとつを占めている。人間は、シーンや状況によって、アタマの中で“意識”を務めるサブセルフ──いわば人格=パーソナリティ──を変更させる。

 

ケンリックのみならず、多くの進化心理学者は、「心のモジュール説」に基づき、人間を“多重人格者”として扱う。米・ペンシルベニア大の進化心理学者、ロバート=クルツバンは、著書『Why Everyone (Else) Is a Hypocrite / 邦題:誰もが偽善者になる本当の理由』において、人間の“自己”のコンフリクトが社会にさまざまな欺瞞を生み出していることを指摘する。

f:id:nonnojoshi:20180831170858j:plain

 

ようは、おちんちんがキモチイイ時の意識=自己と、他人がおちんちんをキモチよくしているのを知り、ムカついている際の意識=自己は、同じ人間であれ、同じものではない、ということだ。

 

俺がこのブログにおいて、積極的に“身も蓋もないお下品な言い回し”を用いているのにはそういう狙いがある。「お下品なもの」にムッと顔をしかめてしまうような人間は、マズローのように“偽善者の罠”に引っかかり、足をすくわれてしまう。

 

そういう事にならないためにも、うんこ!おしっこ!おちんちん!おまんまん!といった卑猥なワードを随所に挟んで脳にエロ=プライミングをかけ、アタマの社会性の意識(”見栄はり”の意識)を適度に低下させておくこと*1が、

マズローのように「ポジティブ・イデオロギーに囚われて思考を歪めてしまったり、ある科学的な事実について──それでも地球は回っている ("E pur si muove") というような類の事実について──「そんなはずがない!(≒ そうであるべきだ)」と盲目的に否定してしまうことを防ぐためには効果的な思考所作なのだ。*2

 

 *1”社会性” の意識は「欺瞞」の根源

──ヒトは、進化の歴史において”評判選択”という社会的な自然選択プロセスを経て「モラル」「向社会性(善悪思考)」の意識を身につけてきた動物なので、ある特定の事実が ”社会的にマズイ” ものである場合、それを真だとは認められない習性を持っている。これは社会ゲーム理論では”純粋な無知”と呼ばれる戦略で、クルツバンが「脳における情報の隠蔽:IH」と表現するヒトの脳の進化的な適応機能である。

f:id:nonnojoshi:20180831173330j:plain

  • 「プレイヤーの純粋な無知」は、相手プレイヤーに認識され考慮されれば社会ゲームにおいて有利に作用しうる” ゲーム理論用語 by ノーベル経済学者トーマス・シェリング Schelling 1960
  • IH : Information Hiding (情報の隠蔽) ──心のモジュールの一部のシステムには、他のモジュールから情報を受け取らないよう、あるいは他のモジュールに情報を送らないよう、戦略的に設計されているものがある。by 進化心理学者 ロバート・クルツバン Robert Kurzban 2010

 

 

 

*2 実際マジな話、ダーウィンが『種の起源』を発表する1859年まで、一体なぜ世界中の科学者たちは「ヒトがサルから進化した」なんていうシンプルなことを思いつかなかったのだろう?(解剖学の進展で「なんか似てるな」とは指摘されてはいたようだけど)

f:id:nonnojoshi:20180831171939j:plain

 

───ニュートンが時間・空間・質量・力・運動・万有引力・天体現象等の物理法則をほぼ完璧に説明した『プリンキピア』を出版したのが1687年だ。それから200年後になってようやく、ダーウィンの進化論の登場によって、“生物学の基礎”がやっと打ち立てられるというのは、どう考えても・・・あまりに遅すぎる。

 

───それこそ「お下品なもの」に対しておもわずムッと顔をしかめてしまうタイプの知的な人間(インテリたち)の、知的弱点ゆえじゃないだろうか?

ダーウィン以前にもそういったこと(=人間はサルの子孫)を思いついた知的階層もいたが、「お下品なもの」への嫌悪や、「恥」といった恐れの感情、動物差別を含むモラル観といったものが、「我々がサルの一種?ふざけるな」と無思考のシャットアウトに繋がってしまったのではないだろうか。ムダに高尚なスタンスが、学者や研究者ら(=昔から気高い人間が多い) の脳みそをスクイーズし、その高い知能を制限し、思考を捻じ曲げてしまう。

 

彼らがもし、

「俺はオナザル。ホントは女のコといっぱいエッチがしたい」

ということをみずから素直に認められるようなタイプの人間であったならば?

 

──ダーウィンの登場を待たずして生物学はより進展していただろうし、経済学者が「合理的で賢い人間」を前提にして経済モデルを構築しようとしている事にも事前にストップをかけ、「経済学はむしろ、サルとサルのバナナ取引を前提にしろ」というような、現代の行動経済学者が行う提言ができたかもしれない。

コーネル大の行動経済学者・ロバート・H・フランクは、著書『THE DARWIN ECONOMY(邦題:ダーウィンエコノミー 自由、競争、公益)』の中でこう述べている。

 

“ 100年後の経済学者に、経済学の父は誰かと尋ねたら?

その大多数はチャールズ・ダーウィンと答えるだろう ”

 

f:id:nonnojoshi:20180831171039j:plain

 

 

───兎にも角にも、ふだんはエロを「はしたない!制限しろ!」と目の敵にして糾弾してまわっているマジメなオッサンが、じつはプライベートでは変態風俗店のオキニ嬢のもとに足繁く通う常連だったり、「不倫は人として絶対にあり得ないことだ」とワイドショーでコメントしていたはずのオバハンが、のちに自身の婚外恋愛をスクープされたり・・・といったことは、けっして生物学的におかしな話ではないし、むしろそれが、ヒトそのものの ”愛くるしい姿” なのだ。

 

「偽善者」研究のクルツバンも述べるところだが、

ヒトは、ほんとうは自分(のなかにある、ある種の意識や思考モジュール)がしたいことを「するな」と他者に禁止したがる、という動物習性を持つ生き物だ。

───まず他人に対して「するな」という感情があり、それから「なぜあなたはそれをしてはいけないのか」の理由を ”理性的に” 考え、後からでっち付ける。これがヒトの脳の典型的な思考プロセスだと判明しているのだ。

 

f:id:nonnojoshi:20180913031445j:plain

 

 

───ケンリックの欲求ピラミッドは、こういったヒトの複雑な心の仕組みが踏まえられたものになっている。

 

:だから彼のピラミッドでは、“人間ならではの高尚な部分”としてマズローのピラミッドの頂点で燦然と輝いていた自己実現の欲求」が、その生物学的また脳科学的な理論的考証から、Status (地位)やMate Acquisition (配偶者の獲得) といった欲求階層のなかに(;欲求ピラミッドの頂点ではない場所に)組み込まれている。

 

自己実現」に邁進する人間たちの行動も、その他の動物たちが日々行っているある種の努力的行動(ex. 例えば若い鳥類のオスは求愛ダンスを日々練習するし、チンパンジー潜在的な交尾相手や同盟相手に食糧を気前よく配分できるように──そうすれば社会序列を上昇させやすい──高い木登りスキルを身につけようとする;等)と本質的には同じものであり、けっして生物学の範疇を逸脱するものではないのだ。

 

”キラキラ輝く人になりたい” というわれわれの自然な欲求は、「個人の認識」と「心の理論」というものを備えた認知的進化によって、群れに “ソーシャル=ネットワーク” という機能が生じている霊長類社会を生きる上で「自らの適応度を高めたい!」と思う生物学的な(とくに類人猿特有の*)気持ちなのだ。

*多くの動物の群れは、母親など身近な関係を除いて ”誰が誰なのか” という認識のないいわば「他人の集まり」なのだ──それゆえに「評判」や「噂」というものも無く、「群れの中でキラキラ輝きたい!」などという気持ちも、自然淘汰のプロセスでは備わることがない。

 

f:id:nonnojoshi:20180831164233j:plain

 

たとえば、かつてキング牧師は、怒れる大衆を率いてかの有名なワシントン大行進を行い、無数のテレビカメラが回る中でI have a dream...」と拍手喝采のスピーチを行うという「自己実現」を果たしたが、

それ以後の彼はオンナからの求愛を多く受け、演説旅行のいく先々で、毎日のようにべつべつの若い女性ファン”との一夜を楽しんでいた、という事実がある。妻と4人の子供がいるにもかかわらず、だ。このおちんちん孝行野郎♡

 

 ───そしてそれは善とか、悪とかでは無く、生物学的に(つまり自然選択と性選択のプロセス的に)まったく筋の通った行動なのだ。

 

(✔️大事なことなので繰り返そう:ここでは善とか悪とかの道徳的な話はしていない。ただただ、”おちんちんの実態” についての話をしている。”おちんちん”を連呼するようなヤツの話に、マジメで常識的な社会性の高い人たちはヘタに耳を傾けたり、首を突っ込んだりするべきじゃあない:なぜなら君たちは「おちんちんの生物学的実態」についてまっすぐ理解をすることに関しては全く不真面目な人間だからだ)

 

 

心のモジュール理論が示すように、俺たち人間が通常信じている、“統一された「自己」”というものは幻想に過ぎない。

 

人間のアタマの中に存在するのは単一の意識システムではなく、いくつもの独立した意識システムの集合体であり、複数の意識システムを統合して支配する意識(=“責任者”)というものは存在しない。独立した意識システムのそれぞれが、人間の「意識=人格」を交代で務め上げている。

そして、人間が暮らしていく中で遭遇する個々の状況において、その状況をこなすことに特化したココロ=意識=思考=人格が、起動される。

 

ヒト=パーソナリティにおける「自己同一性(アイデンティティ)」とは、虚構だ。もしくは、「統一された“わたし”などというものは存在しないのでは...?」という人間たちの不安が、そのようなコトバをつくりあげたのかもしれない。

 

そして、それ(人格の分裂)を“不安”に思い、「そんなはずはない」と信じ、「わたしはわたし、一人しかいない」と思うことは、進化上、適応的だったのだろう。誰も解離性人格障害や、統合失調症に日々悩まされたくはないだろうから。

 

youtu.be

 

「心のモジュール説/Modularity of mind」は、21世紀の心理学において最も強く支持されている理論の一つ。

モジュールとは「組み立てユニット ≒ それ自体で一応機能的に成立している部品」のことで、人間の身体でいえば「手」とか「足」とか、ある機能に特化して作られているパーツのことを言う。

そして、それは身体だけでなく「ココロ」(脳における意識) もそうなんだ、というのが心のモジュール理論になる。

1.領域特異性:モジュールは特定のインプットにだけ反応する。それらは特殊化されている。

2.情報のカプセル化モジュールが働くために他の精神的なシステムを参照する必要はない。

3.強制的な発火:モジュールプロセスは強制的な形で作動する。

4.即座の作動:恐らくカプセル化によって、限られたデータベースを参照するだけでよい。
5.浅い出力:モジュールの出力は非常に単純である。
6.限定されたアクセス可能性:いつ何時でも作動するわけではない。
7.特徴のある個体発生と規則的な発達
8.洗練された神経構造

(モジュールシステムの特性 by フォーダー)

 

  

──では、ケンリックの著書『Sex, Murder, and the Meaning of Life』/『The Rational Animal』に綴られた内容を基に、彼のピラミッドのそれぞれの欲求階層について、ヒトの成長ピラミッドをたどる形で説明していきたい。

 

(相手の現在の意識モードに合わせた対応をすることは、女の子を口説き落としたいと思う諸君にとって、非常に重要な所作になる)

 

 

 

(つづく)