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俺とオマエのFIGHT CLUB

“「オナニー」の不都合な真実 ” ─ 医者が説かない自慰行為の有害性 ─ あなたがモテないのは “ホルモン異常” が原因だった〜非モテ国家ニッポンへの警鐘

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よくある新書本の盛り合わせみたいな仰々しいタイトルをつけた。が、常識人の皆様におかれましては、医学界のコンセンサスであるマスターベーションは健康的。間違ったやり方をしない限り、有害性は一切ない』という見解を堅く信用してこのページを閉じてほしい。

これは常識人のあなた達にとってネットの海に数多散見される“トンデモ論”の一つに過ぎず、信じるに足るようなことは一切書かれていない。

事実、「マスターベーション 有害性」「自慰 悪影響」などとグーグル先生で検索しても、ソースのよく分からない個人のオナ禁推奨ぺージが沢山出てくるだけで、医学的にマスターベーションの有害性を説くような論文は一切出てこないだろう。

 

ここからの内容

 

この記事のショート版↓


・「マジメで誠実で正直な人」が非モテ化するのは、自らの欲求に対しては「不真面目で不誠実で不正直な人」だから。──副題:非モテを“地獄”に追い込むルサンチマンニヒリズム──
https://www.fightclubjp.com/entry/2018/02/02/223013

 

 

さて、ここからはネットの海に生息するあくまで一個人の“戯言”を語ることになる。そう思ってサラッと聞き流してほしい。


俺はオナニーの有害性を唱えたい。

 

いま、日本人はオナニーによって滅亡しようとしている。日本という国家にとって一番の悩みである少子化、非恋愛化、草食化、童貞率の上昇、これらすべて日本人男子の過剰な自慰習慣が原因であると強く唱えたい。

マスターベーションが身体に外的ななんらかの悪い影響を与えるとか、やればやるほど何らかの病気のリスクが高まるとか、行為自体に医学的な危険性があるということを言いたいわけではない。

あくまで行為の結果として引き起こされるメンタル部分の問題である。個人のメンタリティ(精神・思考)に著しい影響を及ぼすのがホルモン分泌だ。

 

そしていま、

日本人男子のホルモン動態に大きな異変が起きている。

 

以下は、日本医事新報 No. 4659号(2013.8.10)に掲載された論文「草食系男子のホルモン動態」の報告内容。
近年、男性外来において、典型的な草食系男子の男性ホルモン(遊離テストステロン)値が著しく低いことが判明し、このことを簡潔にまとめたものだ。


草食系男子”である40歳以下、平均年齢30.8歳の21名を対象として、男性ホルモンであるテストステロン値を測定した。

草食系とした基準は、
①女性への興味が強くない
②何事にも態度が控えめ
③声が小さく従順な感じ
④色白で筋肉質ではない
⑤消化器系が弱い

その結果は、21名中4名(19%)が加齢男性性線機能低下(late onset hypogonadism: LOH)を示し、6名(28.6%)が境界域だった。

これにより、外見上「草食系」とされた中で、半分近くの人が、実際に男性ホルモンの値がかなり低い、ということが判明した。

これは、草食系男子は男性ホルモン値が低いのではないかという一般的な憶測を裏づける結果であった。

 

・一般的に男性ホルモンはストレスにより減少するとされる。しかし、もしストレスだけが原因なら、副腎皮質ホルモンであるコルチゾールは上昇するはずだが、これもまた低値を示しているため、ストレスが原因とは考えにくい。

・ホルモン分泌においては、もし性腺そのものに原因があって、男性ホルモンが低値なら、ネガティブ・フィードバックと呼ばれる反射で、脳下垂体から出る性腺刺激ホルモン分泌が賦活される。
しかし、調べるとこの下垂体からの刺激ホルモン(LH)は低値であり、男性ホルモン低値は中枢性であることが示唆された。

 


これに対する医師の考察。

男性ホルモン自体は20代前半あたりをピークに加齢とともにゆっくり減少していく。個体差が大きいのだが、若年にもかかわらず、いわゆる男性更年期(加齢男性性腺機能低下症候群:男性ホルモンの低下のため女性の更年期のような症状を呈す)の診断基準値以下の値を示す例が半数いて、彼らは男性ホルモンだけでなく年齢とともに低下していくDHEAやIGF-1といった老化の基準となるホルモン値も低い。だったら老化が速く進んでいるのか?しかし老化の進行を示す徴候はなく、むしろ省エネというかエコというか、すべての活性が低い、時代にマッチした形に進化しているのではなかろうか。
http://ikeoka.net/blogs/000/?p=3627

 

 

この結果は、はっきり言って、衝撃的なものだ。
日本で近年増え続けている草食系男子、彼らのテストステロン値が、もし40代や50代や60代であればまず間違いなく更年期障害として認められるほどの低水準であるということ。かなりの危険水域にある。

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ちなみにテストステロンが減退・低下した際に現れる症状としては


・やる気がなくなる
・自信がなくなる
・“男らしさ”がなくなる
・性欲・異性獲得意欲がなくなる
・思考がネガティヴになる
・不安感の増大
・理由なくイライラする
・気が小さくなる(勇気がなくなる)
・他者に対し従属的・依存的になる
・ビクビクとなにかに怯えたような振る舞いになる
・自分に正直になれない
・幸福度の低下
・無気力感の増大
・新陳代謝が落ちる
・脂肪が増えやすくなる
うつ状態になりやすくなる
・睡眠の質の低下
・筋肉がつきづらくなる


などが一般的にあげられる。
(どうだろう、まさに草食系男子の特徴に一致しないだろうか?)


「草食系男子」はこれまで、個人の「性格」「恋愛志向の範疇として扱われてきたが、医学的には本来、“ホルモン値の異常”という身体の異変、れっきとした疾患や障害として扱われるべきものなのだろう。

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では今の日本に“草食系男子”はどれくらいの割合でいるのだろうか?

少し古いが2013年の調査を引用しよう。

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*[恋愛観調査2013]リクルートブライダル総研調べ。未婚の男女、20代〜40代の 2,352人が対象


この調査では、日本の20代男性の48.1%が自分を草食系だと考えているという結果が得られた。若者のおよそ半数だ。
年代が若くなるほど、草食系男子の割合は上昇している(*既婚者を除外した調査のため、高齢の未婚者であるほど割合が高くなってもおかしくないにも関わらず(!)、である)。


また、「20代(20〜29歳)男子の“童貞率”が42%(!)」という、衝撃的な調査も発表されている。プロ(風俗)含めこの数値であることや、社会的望ましさバイアス(SDB,Social desirability bias)を考慮に入れると、実態としての数値はさらに跳ね上がるだろう。現代の日本では水面下でとんでもないクライシスが進行しており、このことが実際に、少子化などの国家危機として顕現しているのかもしれない。

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これらの調査結果は、「ここ10年20年でニッポンに草食系男子が急増している」というわれわれの実感を裏付けるものだ。そして、先程見たように、日本男子の振る舞いや思考の草食化は、ホルモン異常(テストステロン値の著しい減退)が大きな原因となっている可能性が高い。

 


ここ10年、20年で、日本人男子にいったい何が起きたのだろうか?

 

 

俺はここで力強く唱えたい。

 

日本人男子の草食化(非モテ化)は過剰なオナニーが原因である

と。

 

ここ10〜20年のインターネットの隆盛によるポルノコンテンツの氾濫、ケータイやスマホによるポルノアクセシビリティの大幅な向上によって、若者の日々のオナニー習慣は過激化・中毒化している。それによってマスターベーション依存症(MasturbationAddiction)が引き起こされ、男子の精力がポルノに飲み込まれている。

そう、「オナニー」によってこの国は亡ぼうとしているのだ、と。

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*アメリカでも巻き起こる“ポルノ中毒”議論

 

 

一般的に、日本は一人当たりのオナニー回数が世界一の国と言われている(そのプライバシー性の極めて高い行為という性質から、介入研究や定量的な観測、実態調査が難しく、きちんとした国別に比較した統計資料は無いものの、日本のAVなどのポルノコンテンツオナニートエロメディアなどのオナニー産業の市場規模は英国BBCも指摘した通り世界No.1の水準にあることは事実である)。

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また、性風俗産業疑似恋愛市場など恋愛やセックスを代替するモノやビジネスの市場規模もこれまた世界No.1の水準にある。
(*風俗での性行為はテストステロン値の低下を引き起こす可能性が高い、詳しくは後述)

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一方、セックス回数はというと、ダントツに世界ワースト1位の国である。これも有名だ。(以下に示すのは英国コンドームメーカーDulax社の調査)

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この文章で俺が言いたいこと(仮説)は、


『「オナニー」という行為は、その結果的な作用として、テストステロン値の低下、または下方硬直化という人体への影響を引き起こす。それが日本男子の草食化(非モテ化・非恋愛化)を招いている』

 

『ーーゆえに“オナニーに有害性は一切ない”という現代医学の定説、またはそれに準拠した日本の行政機関による性教育は巨大な欺瞞に溢れている』

 

というものである。

 

 

詳しく見ていこう。

 

オナニーとテストステロンの関係


──まず、オナニー行為中のテストステロン値だが、基本的には、性的興奮によってグングン上昇する。
(pre=勃起前、election=勃起時、climax=射精時、ejaculation=イッた瞬間、after=射精後5分)

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(*日本性機能学会)

 

テストステロン値は射精後は減退に向かうものの、「pre」より「after」の方がテストステロンは高い値を示している。

これをもって「オナニーによってテストステロン値は上昇する、健康にいいから更年期症状にも効くし、どんどんやれ」というのが現在の定説なわけである。

 

 

しかし、俺はこれに異議を唱えたい。

ミソはこの研究が「射精後5分」の値を測っていることだ。この時にはまだオナニー行為による興奮と射精のエクスタシーによる興奮が、身体にまだ残存していることだろう。

 

オナニー行為後に、頭や身体の奥の方から沸々と沸き起こってくるネガティブな感情がある。

虚無感(empty feeling)、虚脱感(despondency)、負け組感情(loser feeling)、脱力感(feeling of weakness)、後悔・自責の念(remorse)、恥(shame)、不名誉感情(febling of disgrace)などなど。

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数十分から数時間にわたって男のメンタルをずっと支配するこれらのネガティヴな心理作用を、オナニーとテストステロン値の関連を調べる上で、研究者たちは無視しすぎではないか?

 

つまり言いたいのはこういうことだ。

 

「after」のテストステロン値を射精後5分なんかで測定するんじゃなくて、もっと長いスパンで測ってみろよ、と。

 

長期的に測れば、グラフの値は、「オナニー以前」よりも「以後」の方がずっと低い値をつける筈だ。デタラメな実感ベースの主張だが、俺にはそんな確信がある。調査して結果を教えて欲しい。

 

 


テストステロンは、個人の気分や意欲(心理作用)によってその値を大きく変動させるホルモンとして有名だ。

 

よく知られた有名な調査で言えばこんなものがある。記事があるのでそのまま引用しよう。


◾︎選挙の勝敗と男性ホルモンの関係

 ところが、オバマ氏勝利が宣言された時、マケイン氏に投票した男性のテストステロンレベルは低下したという。

 一方、オバマ氏に投票した男性のテストステロンレベルは変わらなかったが、テストステロンレベルは通常、夜には低下することから、結果が判明したのが夜だったことを考慮すると、オバマ氏支持者のテストステロンレベルは上昇していたことを示すと考えられるという。

「政治において選挙は支配力を競い合うものだ。競争に勝利した場合、男性テストステロンレベルは上昇し、通常の24時間周期で低下せずに高いレベルを保つ。一方、競争に負けた場合、テストステロンレベルは低下する」と、研究報告は指摘している。

 研究によると、投票締め切りからオバマ氏の勝利宣言の40分後の期間に、オバマ氏の支持者と比べてマケイン氏、または当選の可能性がなかったリバタリアン党(Libertarian)のボブ・バー(Bob Barr)氏の支持者のテストステロンレベルは大きく減少したという。

 

選挙で勝った方の陣営を支持した人々がテストステロン値を上昇させ、負けた方の陣営を支持した人々がテストステロン値のレベルを大きく引き下げたというのだ。

 

 

また、投資の世界においてもこういうことはよく知られた事実で、個人がトレードに勝つたびにそのテストステロン値は上昇するという報告がある。勝ったトレーダーはテストステロン値が上がり、さらに大胆にリスクを取るようになる。これに勝つことでまたテストステロン値が上昇する。こうしてテストステロンの フィードバックループ(positive-feedback loop)が完成する。

 

ゆえに、勝ち続けているトレーダーは恒常的にテストステロン値が高くなる。

その影響で気持ちが高揚し、顔つき・喋り方・歩き方に自信が満ち溢れるようになり、消費行動が大胆になり、低賃金でセコセコ働く人をバカにするようになり、「金」というピラミッド(自分がいる群れの序列)で社会全体を認識するようになる、という。

*映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はまさにテストステロン値の高い男たちを描いた映画だった。

 

他にも、サル山で一番テストステロンが高いのは必ずボス猿であるというような自然界の研究結果も報告されている。

動物社会では複数のオスがボスの座を巡って日々決闘を繰り返すが、これにはテストステロンの「勝者効果」があり、戦いに勝ったオスのテストステロン濃度はさらに上昇し(テストステロン効果でメンタル的に自信を深め、身体的にも筋肉がつきやすくなる)、敗けたオスの濃度は減少する(メンタル的にも身体的にもひ弱になる)ため、勝者と敗者の格差がどんどん開いていく、ということだ。

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このように、テストステロンというホルモンは個人のフィーリング(気分)によっても変動する。単にテストステロンが気分を作る、というだけでなく、気分によってテストステロン値が変動する(feedback loop)。
ポジティブな気分(高揚感)になった時は思考をさらにポジティブにさせ、ネガティヴな気分(無力感)になった時はネガティヴ思考に拍車を掛ける、このような作用を持つのが、テストステロンというホルモンの性質だ。

 


話を元に戻そう。

オナニーを日常的(日本の若者の場合、平均週3〜4回)に行い、日常的に賢者モード無力感、負け組感情)に苛まれる、このようなネガティヴな心理作用をもつ行為を習慣づけることは果たして、

“テストステロン値をオスとして自然な値に保つ”ーー(それぞまさに「健康的」という事だろう?)ーーーことにおいて、なんらのマイナス作用も及ぼさないのだろうか?

はたして、医学界や日本の性教育が提唱するように、ほんとうに「オナニーは健康的な行為で有害性は全くない」のだろうか?

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ここに俺は大きな欺瞞があると思っている。

あえてマスターベーションの有害性を秘匿し、これは健康的な行為だ、と大々的に推奨することで、人々のテストステロン値を平均的に抑制し、社会の秩序を保つ(その暴力性の軽減による犯罪の抑制効果なども含めて)、というような暗黙のコンセンサスのようなものが果たして存在しないと言い切れるだろうか。

*実際の話、アメリカでは「高テストステロンは犯罪行為を引き起こす内的要因になる」として、受刑者に対してテストステロン値を引き下げるためのプロゲステロン注射などをしている州もある。

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オナ禁とテストステロンの関係


次に、オナニーをしないこと(いわゆるオナ禁)によるテストステロン値の推移を見ていこう。

A research on the relationship between ejaculation and serum testosterone level in men(射精とテストステロン濃度の関係)


実験内容は、ボランティアの男性28人を被験者として、一度射精した後ずっとオナニーを控えさせ、テストステロン濃度の変化を毎日測定するというもの。

 

その結果がこのグラフだ。

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テストステロン値は、オナニー禁止から

374→384→375→380→385→404→426→524→417→387・・・

とゆっくり上昇し、オナ禁7日めにして非常に高い値をつけ、その後またゆっくりと減退している。

 

ひとまず、オナ禁によってテストステロン値が高いレベルに上昇することが確認された。アスリートが行う「射精コントロール (試合前のオナ禁)」は、この効果を期待してのものだろう。


また、ピーク後の減退についてたが、これは「コルチゾール」というストレスホルモンの効果による可能性が高いと思われる。

オナニー習慣が染み付いた男にとって、「オナ禁」は尋常じゃなくツラい。このツラさを我慢し続けていると、ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌されることで、結果的にテストステロン値は下がっていく。

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コルチゾールは、暮らしの中で過度なストレスを感じた局面において分泌が促される。効果は血圧や血糖値を上げて身体運動を一時的に活性化するというもの(この効果自体はテストステロンともそれほど相性は悪くない)だが、これが度が過ぎて“分泌過剰”の状態になると、活性酸素を多く生成し、細胞を酸化(老化)させ錆びつかせていく。結果としてテストステロンレベルを抑制するような働きをする。(“やる気”がない状態)

 

“我慢”を続けることによるコルチゾールの増加は、テストステロンによる効果や、テストステロン自体の分泌量を減少させる。この「二重ホルモン仮説」と名付けられたロジックは、われわれの実感としても正しいだろう。

 

テストステロンは気分を高揚させる“勝者のホルモン”だ。やりたいことはやる、やりたくないことはやりたくないというようなハッキリした自立志向や振る舞いを人体にもたらす。“我慢”しつづけることは、どちらかといえば、敗者(群れの従属者)の振る舞いに近い。

 

ストレスに苛まれつづける環境にいる男のテストステロン量が低いのは、コルチゾールの過剰な働き→テストステロンの低下という二重構造によって引き起こされている。

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ではここで一旦まとめたい。

 


<オナニーとテストステロンについて>

 

・オナニーは一時的には性的興奮によってテストステロン値を上昇させる、しかし射精後、テストステロン値は急激に減退する。

・オナニー後のテストステロン値は、個人差があるものの、“賢者モード”のネガティヴな心理作用によって長期的には減退していくものと思われる。

・オナニー中毒になると、マイナスのフィードバックループにハマり、やがてテストステロン値は下方硬直していく。

・日々のオナニーをやめることで、7日めまではテストステロン値が上昇する。

・過度なオナニーの禁止は、コルチゾール(ストレスホルモン)の作用によってテストステロン値を抑制する。

 

と、こういう事になる。


非モテの、“現実の異性に手を出す事に対する我慢”が彼らのコルチゾールを増加させ、テストステロン値を減退させる。

あるいは、我慢に耐えかねて「酸っぱいブドウ」的な自己正当化の“逃避”に走り、それを無意識に自覚しているだけに“負け”の効果でテストステロン値が減退していく。

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俺は、日本男子は明らかにオナニー回数が過剰だと思う。オナ猿ばっかりなんだ。非モテになると毎日2回とか狂ったようにシコっているが、どう考えても精神衛生に悪いのでやめた方がいい。

過度なオナニー習慣が、テストステロン値の低下(草食化)を引き起こし、キモい振る舞い(ビクビク、おどおど)や卑屈な思考(“リア充がモテるのは顔面が全て!”、“負け組の俺は努力したところで恋愛なんて一生無理!” or !)や、現実逃避(“俺は彼女なんていらない、二次元で十分”)や、負け惜しみの自己正当化(“恋愛なんて知性のないバカがやるもの、くだらない!”)というような態度をもたらすのだろうと思う。

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前述したように、テストステロン値が低下した時の症状として、自分自身やその欲求に対して正直に向き合えなくなり、自分の思考や認識を捻じ曲げるような状況理解・構造把握をするようになる。

非モテが書いた恋愛論のようなものの大半が、負けをごまかす屁理屈と、現実逃避方向に大きく歪んだ認識、個人の恨みつらみのような“呪い”に塗れた、ひどく偏屈性の高い文章であることが多いのは、ひとえにこのせいではないだろうか。

知性にあふれた賢い人が、こと恋愛話やモテ/非モテ論争となると、途端にバカの極みのような無茶苦茶な言動に走り出す。このようなことはTwitterなどのSNSでもよく散見される事態だ。

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「勉強するとはキモくなることである」とは千葉雅也先生の『勉強の哲学 ー来たるべきバカのために』で語られた内容だが、やはり彼らは、恋愛面において恵まれなかった人が多い。

そのルサンチマンが彼らの脳みそを歪ませるのだろう。

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*もちろん、『勉強の哲学』にあるように、人間のあらゆる言説、あらゆる解釈、あらゆる認識は「ノリ」ーー文化コードが支配する環境ーーに癒着しており、俺のブログは大きく恋愛マッチョイズム*に拠っている。

*しかしここで付け加えておきたいのは、こっち(俺)はほとんどすべての男がそうであったように「元童貞・元非モテ」であり、未だ非モテ世界から一度も脱したことがない彼らよりは、こちらの認識の方が思考のメタ性が少し高い気がするよ🤔、ということだ。

 

 

セックスとテストステロンの関係


──ここまでオナニーとテストステロンの関連について語ってきたが、ではセックスとテストステロンの関係についてはどうなのだろうか。


すでに示したように、現在の日本は世界で最も「セックス離れ」が進んだ国である。

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さっそく結論を述べよう、まあ当然なのだが、「セックスはテストステロン値を上昇させる」ということが過去様々な研究によってよく知られている。

最近の研究(以下)でも、それが実証されていた。

>米国のセックス・クラブにおいて、クラブを訪れて行為に及んだ男性(n=18)の、性行為(sexual behavior)前と、性行為後の唾液中テストステロン値を調べたところ、行為後のテストステロン値は行為前に比べて平均76%の上昇が見られた。

Arch Sex Behav. 2010 Dec 17.
Salivary Testosterone Levels in Men at a U.S. Sex Club.
Escasa MJ, Casey JF, Gray PB.
Department of Anthropology, University of Nevada, Las Vegas, USA.

 

童貞以外は誰しもが、女とセックスして、ラブホを出た後のなんとも言えない高揚感というか、気持ちの高ぶり自信の高まり、「なんでもできるゼ!」みたいな謎の万能感を味わったことがあると思うが、あの精神作用こそが、セックスによるテストステロン値の上昇効果なのだろう。

 

もちろん射精直後はテストステロン値は一時的に減退すると思われるが、「ヤッたったぜ」という達成感異性からの承認、「生殖のパイ🥧を獲得した」という征服感・・・これらの後からジワジワと実感される“誇らしさ(honor)”が再びテストステロン値の上昇をもたらし、男を快活な気分にさせるのだろう。

 


また、頻繁なセックスはテストステロン値の恒常的な高止まりをもたらすとの有名な研究結果(『Nature』1970)もある。単発のセックスによってもたらされるのは急性のホルモン濃度の高まりに過ぎない(その後ゆっくりと減退していく)が、セックスを習慣化することでプラスのフィードバックループが起こり、つねにテストステロン値の高い状態が維持されるという事だ。

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また、これについて調べた研究は見つからないが、おそらく風俗でのセックスは、男のテストステロン値においてマイナスのフィードバックループをもたらす。個人差があるだろうが、風俗店に行って、高いカネを払い、「セックスさせてもらう」という行為は、男の心理に強く「負け」を認識させるものでは無いだろうか。

 

テストステロンは、前述した通り、情けなさや敗北感、無力感、不甲斐なさ、恥辱感といった個人のネガティヴな感情に強く反応し、その値を大きく減退させる。

 

必ずしも風俗での性行為がこのような心理作用を引き起こすとは断言しないーーたとえば童貞男子なら、未経験だった性行為を“クリア”したことによって、少なからずポジティブな心理作用が生まれ、テストステロン値の上昇が見られるかもしれないーーが、たいていは“男としてのプライド”が心のどこかで傷ついているはずだ。

 

たとえ本人がどれだけ気丈に振る舞っていようと、どれだけ表面を取り繕っていようと、もはやほとんど無意識であろうと、テストステロンはその「負け」を見逃しはしないだろう。

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* * * * *

 

 

テストステロンがモテ格差を生む

 

──ここまで述べてきたようなことは、非モテ男子にとっては衝撃かもしれない。

以下、まとめておこう。

 

■モテ男は日々のセックスによってテストステロン値を高く保っている。

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ーーセックス、それは有性生殖をする人間にとって最強の承認かつ最強の肯定だ。

 

・異性から体を委ねる価値がある「最高のオス」として認められる事が、テストステロン値の上昇をもたらし、強靭なプライドと男としての自信持たせる。

・それら内的なものが、外側の堂々としていて余裕のある“モテる男の振る舞い”を錬成し、また、奮い立った気持ちを行動へと移せる度胸もつく。

・勇気を出して美人をデートに誘い、自信を持って口説く、その態度がさらなる成功(性交)を呼び込んで来る。

・多少失敗してもテストステロンの効果で精神が強靭なため、心理的には大きくダメージを受けることがなく、そのポジティブさ次の行動と成功を呼び込む。

 

 

 

非モテ男は毎日のオナニーによって自らテストステロン値を引き下げている。

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ーーオナニーはオスの自意識に強く“負け”を刻み込む行為である。

 

・365日毎日毎晩シコシコ…シコシコ…とやむことのない自慰を繰り返すことにより、テストステロン値は長期的に大きく減少、性的劣等感の固定化によって下方硬直する。

・リアルで他者と接して傷つきたくないがために自閉的に一人で興じはじめた行為(オナニー)によって、非モテはあろうことか自分の一番大切なものを傷つけている。日々の行為が非モテの自尊心と自己肯定感をキリキリと蝕む。

・ボロボロに脆くなった自分から目を逸らすために「酸っぱいブドウ」的な虚ろを打ち立てて認識や思考をへり曲げる。

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彼らは「ナマの異性を抱きたい!!そして男として認められたい!!」という有性生殖生物にとっての“本能”(=性的リビドー=生殖競争エネルギー)を抑圧する。

そしてアイドルとかAVとか二次元とかキャバクラとかの疑似恋愛にうまくすり替えて、生命力の根源であるエネルギーを日々シコシコして“ヌキ”、自分をゴマかす。

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“異性に認められたい”=“モテたい”

 

 

これがVehicle for genes (遺伝子の乗り物)たる人の、とりわけオスの、生命エネルギーのすべての根源にあるものである。

生物にとって、本来、この世のすべては自身の遺伝子生存を掛けた“生殖競争フィールド”に過ぎない。

その競争において、敗北したり、あるいは社会的抑圧によって“生殖のパイの獲得欲求”を阻害された非モテたちは、自身の中にある競争欲動を魑魅魍魎のエネルギーにして放出しようとする。

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おもえばこういう弱者としてのルサンチマン(劣等感、負け犬感情) のエネルギーが、人類の発展をもたらしてきた。

出世願望や金銭願望、あるいは社会貢献願望・・・それらの根っこには本能的な承認欲求がある。そしてそれは「群れの中で目立つことで異性から認められたい」という性的アピールであり・・・

つまりすべては「モテたい」という生物の根源的なリビドーが、「理性のゴマかし」によって形を変えたものに過ぎない。

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この世界は非モテルサンチマンでできている


──ルサンチマンははじめに“正義”“モラル”という形に託けて地球上に出現したことだろう。たとえば結婚制度がそうだ。負け組たちはまともにやると生殖のパイを争う競争に勝てないから、民主主義のもと自分たちに都合のいい“虚構ルール”を社会に導入した。

 

「モテてセックスできる奴が偉い!」という生殖競争における単一の自然ルールを否定し、「オス1匹につきメス○匹まで」という結婚ルール(いわば共産主義的な生殖資源の分配)を新たに導入した。ルールを設定したから「ズル」も生まれた。「モテる奴=悪」「複数異性の確保=罪」・・・これらはルサンチマンの現出だったのだ。

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ヒト社会において、非モテオスたちが二股という「ズル」を行ったオスに対して“義憤”したり、“モラル”の元に集団で叩いたりするのは、彼らが決して“正義を誤認”しているからではなく、むしろそのむかつく!という感情こそがまさしく『正義(justice,裁き)』の正体であったわけだ。

 

この「正義」という名のルサンチマン(負け組感情) は、モテ強者であり、本来は自然界のアルファである“二股オス”が、メディアの報道によって“失脚”して、社会から後ろ指を向けられはじめたまさにその時、いっせいに噴き出す。強者の社会的評価地位が底まで転がり落ちた時にこそ、負け組たちは溜め込んできた鬱憤をヘドロのように、ルサンチマンのエネルギーとして放出する。すべては大いなる裁き(justice)を下すために。

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たとえゴリラのような極端なハーレム社会でなくとも、自然界において「オス」は基本的に“遺伝子プールの質を高める”役割を担うため、勝ち組の個体数よりも負け組の個体数のほうが圧倒的に多い。そして多数の負け組が少数の勝ち組に数の力で勝利するのが“民主主義”という社会ルールだ。

 

世界史上においても、人々のルサンチマンはある時は被抑圧者たちによる“社会改革運動”ーーつまり“宗教”ユダヤ教キリスト教イスラム教etc )という形をもってこの世界に出現して猛威を振るい、またある時には“社会破壊運動”ーーつまり共産主義のような「ちゃぶ台返し」という形をもってそのエネルギーを爆発させた。

 

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“ローマ人は強く、キリスト教徒は弱い。
ローマ人は強い。したがって、彼らは悪である。
キリスト教徒は弱い。したがって、彼らは善である。

悪なる者にはやがて天罰が下されるだろう。

善なる者はあの世で救われる。”

ーー by ニーチェ, ルサンチマンについて。

 

 

非モテを虚無にみちびくニヒリズム

 

──しかし、このルサンチマンの概念や構造を、弱者がみずから無意識的にでも理解し、認識し、自覚してしまうと、今度は別のが問題が顔を出す。ニヒリズム(Nihilismus)である。いわば、ルサンチマンが突き動かす妬みからの負のエネルギーすら失われてしまった状態だ。

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ーー結局、すべてはモテるためだったのかもしれない。

俺は今までそれを否定し、いわば非モテであることに価値を見出して生きてきた。恋愛やセックスを堕落だと認識し、それに溺れることがない非モテな自分を何か高尚な存在だと思って生きてきた。

 

セックスしまくってる男を「馬鹿だ、クズだ、チンコ脳だ、ゲスだ、」等と軽蔑して生きてきた。セックスのために股を開く女を「ビッチ、尻軽、アバズレ、淫女」等と侮蔑して生きてきた。

 

そして脳内に “聖なる女神” “穢れなき天使” という虚構のアイコンを設定し、「こんなに頑張っているのだから、いつか報われる」・・・そんな事を信じて、耐えて、自分はここまでやってきた。

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イケてるやつらが彼女とかつくって遊ぶなか、少年期や思春期をずっと勉強に捧げる事ができたのも、そして現在進行形で仕事にひた向きに頑張れているのも、「エリートにさえなれば、金さえあれば、最後には俺は女に認められるだろう」というふうに、いつかの“救い”をずっと信じてきたからじゃないのか?

 

恋愛やセックスの価値をずうっと否定してきたけれど、ほんとうは世の中のリア充のように、それを思う存分堪能できることを、自分は何より一番望んでいたんじゃないのか?

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これまでずっと自分は

 

・真面目

・誠実

・禁欲志向

・贅沢を憎んで質素倹約

・利己心を否定し利他的

・ボランティアなど社会貢献に積極的

・異性を性的な視線で見ない

 

というような、「マジメで誠実な良い人」を演ってきた。

それは、このような慎ましい振る舞いを、ひとえに“善”と信じていたからだ。

そして、やりたい事や本能に率直に従い、欲求を満たすように日々生きる「バカ」なやつらを軽蔑に値するものーー“悪”だ、と盲信してきた。

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だけどもしこれが、強い者を“悪”、弱い者を“善”と勝手に定義した上で、「負け」とか「弱さ」とか、“持たざる者”である自分が唯一持っているものに対して大きな価値を見出すという、ルサンチマン(負け犬感情)による認知の歪みであったなら?

 

『われわれ恋愛弱者は “善人” だ』

ーーーーだから、ピューリタニズム(=清なるモノや行為への信仰) に従って修練の苦行を積み、日々慎ましく生きることで、いつかは神(女神👼)のもとへと導かれ、救いを受けるだろう。。。”

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・・・・と、このように、まさにルサンチマンによる偽りの善と正義と倫理の力によって、自分の○○年間の人生のすべてが動かされてきたとしたなら? 

そしてそれが、いまの自分のアイデンティティのすべてを形作っているとしたら?

 

 

 

ーーー全てが、崩壊してしまう。

 

 

 

結局、俺は、心のどこかで「恋愛とセックス」をずっと渇望し、追い求めていたんじゃないか?

 

「マジメで正直で誠実な自分」こそが、欲望から目をそらし、本当の自分に向き合わない、一番不真面目で不正直で不誠実な人間だったのかもしれない。

 

これまでの俺の人生はいったいなんだったんだろう?

 

自分とは、いったい何者なのだろう?

 

ずっと大切に守ってきた自分自身

ーーこの精神を、身体をいま形作っている要素の中に、真に価値があるものなどあるのだろうか?

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これが、非モテの最終形態ーー自分がルサンチマンの塊であることを認識してしまった男がついに至る場所である。

 

この状態(恋愛ニヒリズム)に陥る者は、須らく非モテである

(生殖競争の勝ち組ならばルサンチマン <モテへの怨念> に呑まれることもなく、だからこそ自らの人格にこびりついているルサンチマンを“自己認識”して“目覚める”ようなことも無い)。

 

彼らは非モテゆえにテストステロン値が低く、自らのルサンチマンを認識して「これじゃダメだ!」と覚醒しても、「モテ強者になりたい!美人とセックスしたい!恋愛で勝ちたい!」というようなオス本来的な生殖マッチョイズムに回帰することはない。モテるため(強者になるため)の鍛錬には向かわず、ただ、自己否定だけが始まる。

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「モテたい」という外的な行動、未来的な思考、“欠如"したものの獲得方向ではなく、あくまで彼らは内的なものーー自分自身の崩壊にピントを合わせる。

 

人間は習慣の束である(D.ヒューム)。

 

これまでの人生において、日々丁寧に繰り返され、大切に受け継がれてきた自分という存在(非モテで在ることに価値を見出してきたアイデンティティが、「非モテに価値はない」と自ら認識したことによって、自壊していく。価値否定によって、自分自身が実像を失っていく。そして、それ(自分)を通して認識してきたものの全て(世界)も、崩壊を迎えることになる。

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「結局、俺の全部は無価値だ」とこれまでの自分、これまでの人生、それらが全部仮象 (appearance, Schein)」だったと “気付いて” しまったことで、「世界のすべても無価値だろう」という “虚無の認識” に繋がっていくのだ。

 

これは当然だろう。

 

自分が「大切だ」「価値がある」と思って人生で拾い集めてきたものの全てが仮象だった、いや、「大切だ・価値がある」という自らの価値観自体がもはや偽物だった、自ら吐いた嘘であり、自らの思考の全てが蜃気楼だった・・・・となると、人間はもう何も信じられなくなってしまう。すべての確かさを否定することだけが唯一の確かさだと思えてしまう。

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無価値と無意味でできた世界ーーーー。

 

 「不甲斐ない自分」は、ただその中を浮遊し、流され、漂う存在。

 

あらゆる価値の否定。とめどない虚無感に苛まれる日々。その絶望からやがて自死や空っぽの生へと向かうことになる。

 

これがオナニーに励む非モテ最終的に辿り着く場所である。

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* * * * * * * * *

 

 

「モテ・ピラミッド」の下層で苦しんで生まれたルサンチマンこそが、非モテたちが現在みずからの矜持としているモノーーーカネであったり、テストの点(学歴)であったり、高級資格であったり・・そういったものの獲得に向かわせ、アイデンティティの核部分を占めるまでに至らしめた力であった可能性はかなり高い。

であるからこそ、「すべてはモテるためである」という生命の本質を突かれると、トラウマを背負う彼らは狂ったような反応を見せるのだ。

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* * * * * *

 

テストステロンのモテ効能

 

──さて、散々「テストステロン=モテホルモン」というコードに沿ってここまで突っ走ってきたが、ここでテストステロンのモテ効能について。

 

テストステロン(testosterone, C19H28O2)は男性ホルモンの95%を占めるホルモンだ。あくまで男性ホルモンの一種に過ぎないが、その他の男性ホルモンはどっちかといえば“抑制”のような働きをするので、「男性ホルモン=テストステロン」という図式で単純理解していてもまず大丈夫だ。

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<テストステロンの効能>

 

■妊娠6週目〜24週目
・男の生殖器発達


■生後2週間〜6ヶ月
・“男脳”(ニューロンの結びつき<脳内回路>がオトコ的になる、“思考の嗜好”の男性化)になる
・・・この時期以降、いったんテストステロンレベルが下がり、女と一緒に


■思春期
・陰毛の発育
・声変わり
キンタマとおちんちんの発育
・筋肉増大
・骨格増強
・フェロモンを発生させる
・性欲増大

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■成人以降の作用と、一般的な効能
1.筋肉増大
2.骨格増強
3.フェロモンを発生させる
4.性欲増大
5.ドーパミン(興奮物質)の分泌を促す
→やる気・モチベーション増大
6.バイタリティ(活力)の活性化
7.脳の“男性思考”が傾向を強める
マッチョイズム的認識
競争志向
8.自立志向が高まる
→"自由"を好む
9.他人への盲信(盲目の信頼)が無くなる
10.ポジティブ(快活)になる
11.ネガティヴな気分を抑制する
→恐怖心や不安を落ち着かせる
→無意味な怒りやイライラを鎮める
12.攻撃性・暴力性が上がる
13.ワイルドな振る舞いになる
14.ヒゲや体毛を濃くする
15.インスリンの機能向上
→食う量に対して太りにくい身体になる
メタボ抑制生活習慣病リスク減
16.集中力記憶力の向上
17.おちんちんの勃起力アップ
18.精液量が増える

(数字は適当なので気にせず)

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見りゃわかるが、生殖活動(セックス)や異性獲得(恋愛)において、とんでもないパワーをもつホルモンだ。

テストステロンが男のモテホルモンと言われるのは実際にそのモテ効果がハンパないから。

 

テストステロンは男のキンタマから分泌される。某・筋トレ社長もおそらくそこから生まれてきた。キンタマのまだ無い男の子 (になるもの) は、妊娠6週目から24週目にかけて母親のお腹のなかで大量のテストステロンを浴び(アンドロゲン・シャワー)、これに思いっきりアタマをやられて脳みそが元々の女性型から男性型へと変化し、精巣が作られ、おちんちんが出来る。おちんちんはアホの象徴。アンドロゲンシャワーはまさに、男が性的にアホ*になる瞬間である。

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*女の脳には、生殖(恋愛・セックス)において遺伝子生存確率を上げるためにはどの男を選ぶべきか・・ということを打算(calculate)する機能が本能(=スーパー理性)として備わっているが、男の脳には生殖のための“打算”はほとんどない(=アホ)。難しい打算をせず、選り好みしないであらゆる女に性欲を発動させる。それこそがある意味、結果を出すための男の打算である。つまり"難しく考えすぎると行動できない"というカンタンな行動理論。男の脳みそのサーキットを動かす電気刺激はおちんちんのアホな欲求である。セックス、おっぱい、くびれ、おまんまん、男はこう言ったものに反射的に反応するし、頭にはエロしかない。

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“強い奴が正義” ──オスとしてのモテ競争


──テストステロンのシャワーを浴びて、アホになった男は、「強い奴が正義」というアホな生殖行動理論に従って物事を考えるようになる。

 

生殖において強い奴とは?
ーーモテる奴である。

 

これが恋愛マッチョイズムのはじまりになるわけだ。生殖競争に勝つ奴がプラス、負ける奴がマイナス。この筋肉脳、強さと弱さのバカな二項対立、そういう単純な思考サーキットがすべての男の核に埋め込まれている。

 

*巨大ロボットは男のロマンだし、スーパーヒーローは最高だし、速いクルマはカッコイイし、映画はとにかくデカイ爆発を一杯見られれば満足する。それらが好きなのは強さと力の象徴だからだ。

*「パシフィック・リム」の魅力を分かる女の人は本当に少ない。

 

だから、 「スーパーマン」や「ダイハード」のように“最強野郎が圧倒的な力を発揮して世界を救う”タイプの映画は男が本来持つマッチョイズムの現出に違いないが、

一方で、“力の弱いオドオドした感じのガリ非モテ男” がある日突然スーパーパワーを身につけてカースト上位の奴らにリベンジする・・・系のストーリーは、マッチョイズムの反対にあるルサンチマンの現出だ。

(例)サム・ライミスパイダーマン

ハリウッドはギークやナードの溜まり場なので、どうしてもそういうストーリーが溢れがち。

まーそれより酷いのは日本の小説・漫画・映画とかだけど。書いてる奴らが非モテ出身しかいないから、もれなくルサンチマンが爆発してる。花男の道明寺みたいな男は、男が制作する脚本では終始悪役にされる。

“ローマ人は強く、キリスト教徒は弱い。
ローマ人は強い。したがって、彼らは悪である。
キリスト教徒は弱い。したがって、彼らは善である。
悪なる者にはやがて天罰が下されるだろう。
善なる者はあの世で救われる。”
ーー by ニーチェ, ルサンチマンについて。

(再び引用)

 

 

テストステロンは男をマッチョイズム に向かわせる。オスは生殖競争において“強者”の地位を目指す。オスは、“生殖のパイ”(メスの卵子) を数多くゲットしようとしたり、あるいはクオリティの高い“生殖のパイ”(美人の卵子・・・ルックスが優れた個体は免疫力が強い=疫病耐性が高いという統計結果がある) を自分のものにしようとしたりと、オス同士で互いに熾烈な競争を繰り広げる。

  

その競争においてより勝つためには、群れの中で自分の序列をあげないといけない。

 

たとえばDNA構造が地球上でヒトに最も近い種であるチンパンジーボノボの社会では、群れ内において自由乱交型ではあるものの、モテ序列が高いほど多くのメスに求められ、多くのセックスチャンスが回ってくる。

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あるいはヒト-チンパンジー系列と直近で枝分かれしたもう一方の近縁種であるゴリラの社会では、セックス(エロ行為)は完全に上位オスの独占で、非モテオスにはひとつも分配されない。

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「序列や競争」はオスの宿命だ。そしてそれこそが、オスの存在理由でもある。

 

 

オスの存在理由、実験で証明される

ーー“英・科学誌『ネイチャー』に掲載されたゴミムシダマシ科甲虫の研究で、オスがメスを獲得するために互いに争うことでなぜ種の優位性が増し強くなるのか、について50世代にわたる交配実験により実証した。”

https://wired.jp/2015/06/15/sexual-reproduction/

(引用)

“地球の多細胞生物のほとんどすべての種は、有性生殖を行う。あたりまえの事実にも思えるが、オスとメスという異なる性が存在するのは、生物にとって重い「コスト」だ。なぜなら、自分だけでは新しい世代を生み出せない個体であるオスを生存させるために、多くのリソースが必要だからだ。

 

“(オスが存在することに対して)考えうる説明のひとつが、「メスの好意を得ようとオス同士が争うことで、オスが種の遺伝子プールを改善する」というものだ。それによって、自分たちの新しい世代を、環境の変化やネガティヴな遺伝的変異の影響に対して対応できるようにするわけだ。”

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“「性淘汰は、オスが生殖のために競争して、メスが相手を選ぶときに作用する。ふたつの異なる性の存在は、このプロセスを促進する」と、研究をコーディネイトしたイースト・アングリア大学の研究者、マット・ゲイジは説明する。”

 

 「これによって、誰が自身の遺伝子を次の世代に伝えられるかが決定づけられます。つまり、これは非常に強力な進化のメカニズムなのです。わたしたちが解明したかったのは、このダーウィンの性淘汰が、いかにしてこれほど非効率的な生殖システムの存在を許容することができたのかです。すべての個体が無性生殖するシステムのほうが、多くの数の子孫を生み出すためにはずっと効果的なはずですから」

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(ここから実験内容)

 

“ 研究者たちは10年にわたり、さまざまなゴミムシダマシ科の甲虫の集団を異なるレヴェルでの交配実験を行った。

いくつかの集団では、生殖サイクルごとに、90匹のオスが10匹のメスと交配するために互いに競争した。一方、別の集団では、オス・メスの数の割合をより小さくした。

 

そうして7年間の経過を観察したあとで、研究者たちは、ストレスのかかる出来事に対する集団の抵抗力における、実験のさまざまな条件の影響を評価した。

 

グループ毎の遺伝的状態を評価するために、研究者たちは同系交配を利用した。つまり、互いに血縁関係にあるサンプル同士を交配させたのだ。子孫に害のある遺伝変異が発現しやすくなる状態で、このプロセスを何世代も繰り返した。”

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結果:非モテオスは役立たずではなかった!

 

強い性淘汰にかけられた集団は、強い耐性を示して、有害な変異が過度に蓄積して絶滅するまでに、20世代もの間、同系交配によって生み出されて生き延びた。

これに対して、性淘汰がより弱かった、あるいはまったくその影響がなかったグループはより耐性がなく、10世代の間にすべて絶滅した。

ーーしたがって、オスは役立たずな存在などではなく、彼らが伴侶を見付けるための競争は、種の遺伝的優位性を保つために必要不可欠なのだ。

 

「これらの結果は、性淘汰がどれだけ重要であるかを示しています。なぜなら、性淘汰はネガティヴな遺伝的変異をなくし、遺伝子プールのなかにポジティヴな遺伝的変異を維持することに役立つからです」と、ゲイジは説明した。

 

「自身のライヴァルを効果的に打ち負かし、争いのなかで生殖のパートナーを見つけるためには、個体はあらゆる分野で優秀でなくてはなりません。このため、性淘汰は種の遺伝的優位性を維持・改善する、重要で効果的なフィルターとなります。

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わたしたちが導き出した結果は、性が支配的な生殖システムであり続けているのは、性選択がこの重要な遺伝的利益を与えることを可能にするからだ、という考えを支持する重要な証拠です」”

 

(引用終わり)

 

オスのモテ競争こそがまさに種の生命を永らえさせる原動力に他ならない。俺たち男が存在するのは「モテたい」と競争する事でヒトの遺伝子プールの質を上げるため、これに尽きる。

 

モテる奴はより多く、またはより質の高いメスと子供を残し、無能な非モテは童貞や子ナシのまま死ぬことによって、ヒトの遺伝子プールの質の向上に貢献する。

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*まさにこの生殖競争のエネルギーがダーウィンの唱えた進化論の原動力だ。

 

そして、テストステロン(モテホルモン)はまさにそのために機能するホルモンだ。生殖競争に勝つと上昇、負けたり劣等感感じてたりオナニーしたりしてると減退。

 

覚えてるだろうか?テストステロン減退効果の一つにバイタリティの低下がある。これによって非モテは自然に女へのアプローチ回数を減らすことになり(勇気も行動力も出ない)、あるいは「死にたい。。」という絶望に苛まれて動けなくなる。それがマクロで見たときに生物や遺伝子にとって利益になる。

ーーそう、いわばプログラムな訳よ。非モテを地球上から排除していく事で、生物は生き延びる。残酷な原理。

 

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*埼玉大学童貞連合 より拝借

 

恋愛マッチョイズムこそが生物にとっての現実

 

──俺が言ってる“恋愛マッチョイズム”とはまさにこの事だ。ヒトが生物であり、その思考や、そのエネルギーが生殖エネルギーによって駆動されている以上、そしてその事実を目を見開いて認めるなら、現実って、恋愛マッチョイズムの中にしかない。

 

これを「淘汰主義者だ!」とか噛み付いてくる奴らが見てる“現実”ーーそれこそルサンチマンが生み出したMATRIXなんだよ。

 

ある真理を「○○○主義者」と呼称する事で、絶対的なものを相対化し、現実の隣に仮想現実を同列のものとして並べ、人々の目を晦まそうとする。それが世の中の賢い人たち(もれなくルサンチマンまみれ)のやり方なわけ。

 

恋愛とか、オンナとか、セックスとか、子供とか、生物にとって根源的なものを、ルサンチマンによって広げた世界の中で相対化して、

 

「世界にはオンナとかセックスとか子育てよりもっと大事なことや、面白いことがたくさんあるよ」

 

という、一見どう考えても正しく思えるモラルや正義を言うわけ。そしてそれらのモラルや正義こそ、ルサンチマンから生み出された概念な訳。


*映画「マトリックス」“He is the one.”

 

 

揺るぎない現実として、

この世界は生殖マッチョイズム(“モテが全て”)が支配している。

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非モテこのルールから逃れるための方法として、知識人たちは、仮想現実を提示して、「こっちにこい」と言う。生理的欲望(DESIRE)を見えないように覆い隠すことができる欺瞞の中で、幸せに生きるのもいいと思う。

 

実際、生殖マッチョイズムの現実は、あまりに、非モテにとって辛いことが多すぎる。ヒトの生殖プールの質を上げるためにーーそれも“誰かの役に立つ”んだから素晴らしい生き方だよなーーーこの人生を捧げる事。それが揺るぎなき非モテの宿命。

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“だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。

ーーマタイの福音書5章27節28節より、イエスの言葉

 

 *ルサンチマン(宗教や倫理)を信じれば、非モテはきっとあの世で救われるし、その「いつかあの世で救われる」という希望こそが、この世のオマエの惨状を救わずして救う。

俺もそう思うし、実際、キモいアニオタとかもみんな「いつか天使(嫁?)からの救いが来る」ことを信じて生きていってる。

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ーーしかし、オマエはそれでいいのか???

 

 

結局ここなんだよな。

 

とりあえず、「人それぞれ」って言っときゃ

マジで何でも最強なんだよ。

 

でもな、多分な、

それでは「良くない」奴だっていると思うの。

 ただ、遺伝子プールの質を上げるための存在にはなりたくないって奴。

 

「いつか」とかの誤魔化しじゃなくて、

「世界にはもっと楽しい事がいっぱいある」とかのすり替えじゃなくて、

「欲しがるのをやめろ」とかじゃなく、

「確かなものはなにも無いから」とかじゃなく、

 

ただ、今、

ここにキミがいない」という無存在が確かに存在していて、

 

その喪失が、虚ろが、欠乏が、

そして、その痛みを感じ、苦しむ自分が、

確かにここに在るというヤツ。

 

 

ーーそれでよくないヤツにとって、いま必要なのは、いわばキルケゴール的転回だ。

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キルケゴール(1813 - 1855年)

は、ヘーゲル(1770 - 1831)というーーーこれまでの歴史上のすべての哲学論を壮大に体系化し、あらゆる哲学論争にピリオドを打ちこんだ凄ぇオッサンーー“偉大な哲学者”に対して、ひたすら噛み付き、ウンコを投げつけた野郎だ。

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キルケゴールは、ヘーゲルの『全体性・共同性のなかにのみ個人は存在する』 という俯瞰的で、宇宙的で、普遍的で、絶対的な哲学を否定し、こういった。

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“人生とは解明されるべき問題ではなく、

ただ、経験される現実である。”

 

 

 「世界の仕組みはこーいうふうになってて、現実はこーいうもんなの。だから仕方ないでしょ?(諦めなさい)」

というオカンに対して、

「ヤダーヤダーー!!僕が嫌だといったら嫌なの!うわーわーん」

とDADAを捏ねること。

 

“ーー結局、それが人生じゃねーの?”

 

 

このキルケゴールの駄々の捏ね方こそ、生物にとって絶対的な生殖システムとマッチョイズムに飲み込まれて、“無価値”になってしまった非モテ(他人にとっては有価値)にとって、まさにうってつけのものだ。

 

 

ヘーゲルの哲学が、

・個人の価値観は共同体のうねり(歴史)によって規定される

・ゆえに真理とは共同体の渦の中にある

・マクロで見れば人間の動き方はこういうふうに決まってるし、個人はそのuniverseの一部に過ぎない

・濁流のうねりのなかに「ワタシ」や「オレ」は飲み込まれている

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*注 ヘーゲルは “真理は共同体の中で流転する。絶対的な真理は無い” と結論づけている。その思考プロセスにはおそらくヘーゲル自身が醜男で非モテであった事実が一枚噛んでいる(ルサンチマン)。

しかし、この文章の現在の文脈では「生物は生殖エネルギーの塊/ゆえにわれわれは生殖システムとそのマッチョイズムルールから逃れることはできない」という“真理”の存在を是として話を進めているため、例えに出す上で(少々不適切だった)、ヘーゲルの言う“真理の流転”についてはひとまず脇に置いて“無視”しておきたい。 

彼が主張する「人生には目的も、果たすべきゴールもない」という思考はいかにもルサンチマン的、もしくはニヒリズム的で、大きく話がズレてしまう。

・・・だから、ここでは“生物の生きる目的”を「より良い異性との生殖と子育てによって自分の遺伝子を先に繋ぐ」事として話を進める。事実、ドーキンスの言うように「生物が遺伝子に利用される“乗り物”」であり「“手段”」であるなら、遺伝子サマの生存・繁栄こそが我々の“人生の目的”になりうる。

 

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ーーーというふうに、個人=共同体に埋没したものというふうに説いた事(そしてそれは恐らく正しい)に対して、キルケゴールは激しく反駁した。

 

「じゃあ、俺はどうなるんだ?」

「俺は世界の仕組みとかシステムがどうなんてどうでもいいんだ」

「俺は、“今ここにある自分” のことを問題にしたいんだよ」

「ーーー苦しい。つらい。しんどい。ただそれだけが問題だ」

「その“仕組み”に組み込まれているとしたら、もうどうしようもないのか?」

「ーー俺は、個人は、救われないのか?」

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俺たちは、

「今ここにある自分」

について、翻って見つめなきゃいけない。

 

“あの世では- ”   “いつかはきっと-”

などとアタマをすり替える事なく、

ただ、いま、感じなければいけない。

 

この胸を刺す痛みを、焼けるような苦しみを、なんとかしなきゃいけない。

 

俺たちは、存在し続ける限り、

今ここにある非モテであることの絶望、愛されないことの絶望 をなんとかしないといけない。

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“ 絶望は、 死に至る病である”

- セーレン・キェルケゴール

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(キルケゴールの解については割愛する。ルサンチマンだらけだから。)

 

モテるぞ、おい。全力で。

絶望に苛まれて死にたく無いし。

セックスだ。セックス。

性を実感しよう。

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*  *  *  *  *  *  *

 

すべてはモテるためである

 

──俺たち生物は、すべて生殖競争(モテ競争)の中にある。

 

その競争において、より上に上がろう、より強くなろう、より勝とう、という上昇方向にすべての生命エネルギーをドライブしていくのがテストステロンというホルモンの効果だ。

 

高テストステロンは、オスを生殖競争により挑ませるし、低テストステロンは生殖競争においてオスに“負け”の地位を甘んじさせる。

 

男の核には「序列や地位が高い方がイイ(格上)」というイデオロギー(マッチョイズム)が刻まれており、「序列」というものに対して、ある意味誰もが合意・納得・諦念を抱いているからこそ、男のグループはピラミッド型の組織構成、階級による秩序というものが自然に成される。

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もちろんグループの構成員はそれぞれ、「いつかアイツ抜かしてやりてぇ/ブチ殺してやりてぇ」と競争本能の嵯峨として各々に思っているわけだが、それが“終わりなき闘争”を発生させるかといえばそうではない。

 

低テストステロンな奴らはそもそも生殖競争に挑まないし(→ルサンチマンとして噴出する)、高テストステロンな奴らはマッチョイズムゆえの“強さへのリスペクト”がある。自分より上の強者は競争相手であると同時に、“そのような力を手にしたい”という憧れの対象でもある。力を手にしたいがゆえに、力の強い相手の作法をたとえ無意識にでも真似ていく。“ムカつくライバル” であるはずのものがアイデンティティのなかに取り込まれていく。このようにリスペクトが男のグループの秩序を保つ。

*ただし、そこがリスペクトを持てない集団である場合、高テストステロン男は離反しがち。

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こういう男社会のマッチョイズム志向の強さは、女グループが並列型で、同調圧力の強いフラットな形に連なることと比較すれば明らかだろう。

 

男グループの輪郭はどんな時もピラミッド形になる。命令や指示がボスからトップダウンで下されることでグループは組織として機能するし、動く。

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部下たちは「この上司クッソ腹立つわ」とかいろいろ思っているものの、そのリベンジ衝動は、「仕事に励む」など、絶対的な力の向上=“自己鍛錬” 方向へと通常は向かう。

 

これにより“出世”し、“ムカつく奴”を序列で抜かすことにより、「キモチイ〜」とカタルシスを得ようとするのが男だ。

 

男のマッチョイズムはありとあらゆる競争ーーそれらヒトにとっての“新たな競争分野”を初めに切り拓いたのは非モテ達だーーーにおいて発現する。そしてそれらの競争分野のうち、本来のモテ競争からより乖離した分野であればあるほど、非モテ達のルサンチマンの影響が強くなる。

 

 

「そんなもの頑張って何になるの?」

ーー楽しいからやってる。(←否、深層心理に、“これを極めればいつかモテる”という性的リビドー由来のエネルギー、藁をも掴むような気持ち、ルサンチマンによる思考の捻じ曲げがある)

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男の誰もがマッチョイズム思考を抱えているおり、非モテ達においてもこれはそうだ。根源的な生殖競争の分野で劣等感を覚えると別分野(仮想生殖競争)に注力し、そこのヒエラルキーにおいては上位の立場をせしめようとする。ヲタが誰も興味ないマニアックな趣味に走りがちなのはこれが理由。恋愛マッチョイズムに頷かない非モテ達も、他のことではこれを発現する。

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繰り返しになるが、こうして人類は生殖競争の代替となる競争分野(その多くは生殖競争の負け組=非モテたちによって開拓された)をたくさん生み出し、まるで学者たちによるWikipediaの執筆争いのように、世界のすべてを網羅していった。

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重々語っているように、「社会的な序列をあげよう」という生物の根源的なモテのための競争欲動が、仕事や、スポーツや、年収や、体を鍛える事、あるいはボランティアとかの社会貢献欲求、SNSとかでの“リア充”争い、イケてる/ダサいといったコミュニティ内の地位争い、これらヒト社会における競争のすべてのエネルギーになる。

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すべては「モテ」。

ーーたくさん女の子を抱いたり、いいナオンをゲットしたりといった生殖競争が根底にある。

https://youtu.be/VnWUbU-y99o

*男のクルマは性欲をガソリンにして走る

 

男のテストステロンが極度に低下すると、この根底にある本来の“モテ競争”をブン投げるような態度になり、どんどんモテなくなっていく。

(ルサンチマン劣等感情が生むエネルギーで、このパワーで社会的地位を得た者も現代社会には多くいるが、自分の「劣等性」を固定したままにしないと構造的に力を発揮できないので、キモヲタとか拗らせた知識人とかは、生殖競争(恋愛)そのものを否定し続ける事で生命力を保っている、ということは何度でも付け加えておきたい。)

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* * * * *

 

男らしい男がモテる。

 

──これを読んで、「えっ、最近は草食系男子がモテるんじゃないの?」と思う人は、恋愛とか、口説きとかのセンスがまるでない。「いつもメスと一緒にいる=モテている」みたいな認識だからだ。

 

昆虫にも魚類にも無脊椎動物にも爬虫類にも鳥類にも哺乳類にも、それどころかヒトとおなじ霊長類にすら、本当はオスなのにメスに擬態したり、トランスジェンダーして女集団に紛れ込む奴はいる。


その大抵がオス同士の競争に敗れたオスで、生存のために仕方なく、正攻法から外れたそのような戦略をとっている。

 

そのパターンや目的は

  1. オス同士で争うと負けるのでメスの仮面をかぶって騙してセックス
  2. オス性を消してメス集団に入り、オスの攻撃から逃れて保護を受け
  3. オスの世界ではもうやっていけないので性別そのものを変える

──このようなものだ。

 

そしてこれらの擬態オスは総じてテストステロンが低い。なぜならテストステロンが高いとフェロモンがすぐにメスに感知されて、メス社会に溶け込めないからだ。(たとえるなら女性専用車両に男が乗っているような不穏な空気だ)

 

:例えば、エスタンサイドブリッジリザード(ワキモンユタトカゲ)は擬態戦略を行うオスがオス全体の3割を占めていることで有名だが、メスに溶けこもうとするオスはテストステロン値を大きく下げることで、メスと親交を深める。

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つまり「女」の仮面をかぶることで男に対する警戒心(妊娠リスク)を解除し、女同士のような関係を築き、「騙しセックス」の瞬間をいまかいまかと待つ。


:また、霊長類だとレッドコロブスという猿🐒の例を挙げよう。

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──このサル社会では、少数のオス猿によるハーレムが築かれており、オスは成長すると群れを追われ、メスは群れに残る。

メス猿は性的に成熟すると尻を赤くして「セックス可能だよ」とオス猿に知らせるが、オス猿のくせに同じように尻を赤くする奴らがいる。

この「尻を赤くしたオス猿」が群れに何食わぬ顔で戻ってきた時、メス猿は「私たちの仲間」と認識し、温かく迎え入れる。

だが一方、群れのボスを務めるオス猿はその“女装”に騙されることがなく、群れから排除しようとする。この時に女装オスが「逆らいません」と自らに対してへりくだり、従順な態度を示したならば、群れに残ることを容認する。

 

 

基本的にテストステロン(オスのホルモン)は女に“妊娠可能性”のようなものを察知させるホルモンだ。

それは動物界においても、人間界においても同じで、ヒトのメスの場合、オスが近くにいるということを強く認識し、本能的に“妊娠可能性”を感じた時、その“なんとも言えないかんじ”を
「チャラい〜」
「警戒する〜」
「危ない(笑)」
みたいな言葉で表現する事が多い。


非モテはこれを「警戒されたらダメだな」と一概に解釈して、オンナをビビらせないために、自分のテストステロン値をできるだけ引き下げようとする(そうしてできあがるのが「やさしい男」だ)。だからどんどん女々しくなり、モテなくなる。

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* * * *

 

俺たちは調味料の販売人


ところで、ヒト含む多くの生物が採用する有性生殖による子づくりとは、そもそもどのような仕組みなのだろう。

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まず、「卵🥚」はメスが持っている。あとはその卵をどんな味にアレンジするか──「アレンジ」こそまさにオスの役割なのだ:オス同士を“アレンジ”の腕で争わせる──ということを考えるのが、有性生殖だ。

 

オスはケチャップとかとかマヨネーズとかマスタードとか醤油とか日本酒とかの調味料をそれぞれ持っていて、それを卵にぶっかけることで妊娠が成立する。

 

メスは卵を割れないように大事に抱えてるので、慎重にならざるを得ない。あんまり動けないわけだ。


一方、オスはなんせ調味料持ってるだけなんで機動力がある。「この調味料、どうすか?」と飛び込み営業にいろんなお宅を訪問するのはオスの役目だ。

それを買うか買わないかは、メスがぺろっと味見とかして、じっくり考えて決める(ヒト含む生物社会において、売買のクローズ権はメスにある、これを守らない奴=レイパーはどの社会でも袋叩きにされる)

 

ちなみにこの時にメスが考えるのは

1. この調味料は美味しいか

自分の感覚で美味しさを考えるのもいいが、周りの奥さんから人気なのか(売れてるのか)どうかも、女にとっては「美味しさ」の重要な判断基準になる

2.腐ったりしてないか、品質は大丈夫か

→品質の悪いものを卵にかけると腐ったり臭ったりしてしまう(=卵が将来苦労する)

3.調味料をかけ終わった後もアフターケアをしっかりしてくれるか

→販売人としっかりした人間関係を築けているかは重要な判断基準だ

の3点だ。メスは、このように、品質の高い調味料選びに命をかけている。女は男を“じっくり”選ぶ。

 


もし①のように美味しい調味料を目の前で売り込まれた場合。

「わぁ!」と感激するが、懸念材料は③だろう。たくさんの人に売れるんだろうけど、アフターケアは大丈夫? 手が回らなくなったりしない?🤔🤔
「まあでも、人気なら…いっか!」と決断させるのは販売人の腕の見せどころである。メスからしても、目の前にある質の高いものを、アフターケアなんて補足的なものを気にしてむざむざ逃したくはないのは本心だ。


もし②のように腐ったものを買ってしまったら最悪だ

卵がオスだと調味料販売人に育つもその調味料は売れないし、卵がメスでも販売人が来なかったり、来ても低質な販売人だったりして、アフターケアもテキトーにされるかもしれない。それに、そもそも卵がちゃんと育つかも分からない。
だからメスは、販売人に相対するときに、主婦の知恵のようなものだが、まず調味料の“匂い”を嗅ぐ。驚くべきことに腐ってるか腐ってないかはだいたい匂いで──”なんか非モテな無能オトコ臭いぞ?やばいな?”──判断できる。

ここで「ウッ」となると、本能的に忌避するようになる(“生理的に無理”)。別に売り込まれてなくても、である。

 

そして③のように、販売人との人間関係(信頼関係)が濃厚に築かれている場合これも「買いたい」に結びつくだろう。たとえちょっと味に難があっても──この人なら、アフターケアもしっかりしてくれるし、何か困ってヘルプに呼んだらすぐ来てくれるだろうし!...といわば依怙贔屓(えこひいき)的に思う*のだ。「もう、これでいいか」という “妥協” の選択プロセスともよく似た意思決定の方法である。妥協は自ら視野を狭めて納得する、えこひいきは無意識に視野が狭まる、その違いだ。

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*信じることとは、愛とは、えこひいきである。

そこには盲目性があり、相対性がない。だからこそ絶対性がある。「この人だけは違うの」「こんな人どこにもいない」・・・それは視野狭窄だ。世界を広く見渡すことをやめ、ピントを小さく身近なところに絞っていく作業。いわば自分のこだわりとしての「偏愛」──“博愛の放棄”──のなかにこそほんとうに探していたものがある。

小さな恋のうた/MONGOL800


──つまり「自由」という、夢(「IF」)を描くための余白──その大きく膨らませた宇宙を、偏愛の作用で収斂する。なにかを選ぶこととは、他のすべてを捨てること。

21世紀のいま、情報化された世界において、社会や手元のスマホには無数の情報が漂う。可能性が可視化され、誰もが無数の選択肢を前に頭を抱えている。

 

:覚えておかなくてはならないのは、なにかを選ばなければ、行動できないということだ。ただそこでフワフワ浮遊していると、せっかく持っていたいろいろな選択肢を、すべて失うことになる。

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──選ぶこと。手に取ること。抱きしめること。偏愛とは“思いこみ”であって、その“思い込み”によって思い込まされたもので合って、それはペテンだ。「すべての結婚は詐欺」──全くその通り。“魔法”が使えるのは、そこに“魔法”が働いているように見えるのは、虚構の世界にいるからだ。その幻からいつか醒めたとき、それは“勘違い”になるだろう。そのいつかのタネ明かしすら飲み込んで、とにかくいま、目の前で繰り広げられているイリュージョンに、全力で興じること。

 

忘れること、頭から消すこと──みずからの脳みそに、みずから仕掛ける壮大なペテン。

 

“ Forever ”・・・それは絶対性への盲信。確かな大地に足をつけて立つこと。メメントモリ(memento mori)からケセラセラ(Que Sera, Sera)へ──。

 

:だから、ほんとうの嘘つきにしか、ほんとうに人を愛することは出来ない。

 

•「愛という 素敵な嘘で騙してほしい」

 

•あり得たはずの無限の人生と、その可能性の収束。

 

:さて、話を戻そう。

 

注。ここでは①②③の要素どれかに極端なケースで考えたが、もちろん、①②③の要素は総合的に判断される。オスが調味料を売り込むためには、どれかの要素だけをゴリ押してもダメだ。


つぎは、オスサイドを見ていこう。

 

彼らはなんせ「卵」を持っていないがために機動力がある。調味料の売り上げを出すためにいろんな家を渡り歩く。つまり、「数」の思考で動く。

 

彼らは、基本的に売り込み先とかはあんまり考えない。打率(成功率)ではなく、打数(結果)がすべての世界に生きているからだ。そして打数を求めるうちに、洗練されていって、打率もあとから付いてくる。売り込みが上手くなる。

 

売り込みが上手くなると、訪れたメスのお宅の卵をすべてケチャップで味付ける事も可能だ。このレベルになると、「ケチャップ自体が美味しいかどうか」ということよりも、「ケチャップぶっかけが周りのお宅や世間で流行っていて人気」というだけで、ケチャップ営業人は業績を上げられるようになる。

 

ケチャップをぶっかけた卵がオスの場合、そいつは成長するとケチャップの販売人になって、ケチャップ営業を長年続けた自分の代わりに、次世代においてケチャップを売り込むようになる。ケチャップ勢力はどんどん拡大していき、やがてケチャップ帝国が築かれる。

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世界史上・最強の調味料販売人チンギスハンは──少々売り込み方が強引で、悪徳商法のケもあったが──こうして21世紀の世界に、800万人にも及ぶ直系のケチャップ販売人(メスを加えるとさらにその2倍)を生み出した。

モンゴル騎馬民族め・・・😠😠…やはり “機動力” があるオスはつよい。

 

 

 

──長くなった。

 

 

ぬいぐるみからペニスを生やしてはいけない

 

──話を「女に警戒されるとヤバイからテストステロン下げよう」と非モテは考える、というところにまで戻そう。

 

語ってきたように、それは悪手だ。

 

テストステロンは、その男性ホルモンとしての性質から、けっして女集団に馴染むことはない。そしでテストステロンこそが男のモテを司るホルモンだから、ここにおいて選択肢は1.モテるか 2.オンナと“友達”になりやすい男(オンナの群れに溶け込みやすい男)になるか の二択になる。

 

──そして、たいがいの男は、別にオンナと “友達” になりたいわけではない。自分のことを「男」として見てくれて、気が向いたらセックスもできるような関係性の「仲のいい女友達」が欲しいだけだ。

そしてそれは、女にとっての「男友達」の認識とはまるで異なる。女にとって、「友達フォルダ」の人間とセックスするなんてありえない。そういう気を起こすような “友達” は「男フォルダ」に格納されている。口でトモダチ、と言っているからといって、同じものではない。

 

さっき卵と調味料の話で、メスは構築された人間関係を選択基準として重視する(③)という話をしたが、草食系男子の戦略(=擬態)というものは、基本的にここでのポイント加点を狙いにいったものだ。

 

恋愛初心者であれば、「まずは女と仲良くなるところからだ、友達つくれよ」みたいなアドバイスを多く受けることと思う。

 

これがまぎれもなく地雷である。

 

恋愛アドバイスは、メタ的にそれが機能する理由(構造)を把握して、きちんとしたやり方でプロセスを実践しないと、ふつーに効果でないし、ミスる。

 

仲良くなるのはいい。いいが、それは相手から「男」として認識されている前提での話だ(イケメンとか、男として“セクシー”な男は、すでにその認識が初対面の段階で相手の中にある)。

 

「俺ケチャップ売ってる人ですよ」という前提がお互いに共有されている上で、いきなりの商談を避けて、「まずはお茶でも」と世間話に持ち込む。──こうして出来る信頼が、人間関係が、③の審査において高得点に繋がる。

 

だからもし、そのお茶の間での団欒が、「俺ケチャップ売ってる人ですよ」という前提上にない場合──つまりメスがまるで気づかないような “ 擬態戦略(ペニスの存在を隠す)” をオスが採用していた場合──、よし、信頼関係築けたし、いざ商談(口説き)に移ろう、と思っても、

そこで相手は「えっ、そういう人だったの」とひどくビックリして、信頼を裏切られた気分になるから、マジでうまくいかない。それなら初めから言ってよ、ということになる。

 

自分と同じ「卵」サイドだと思ってたのに、いきなり「調味料販売人」に変身して、卵にそいつをぶっかけようとしてきたらビックリだ。

ビックリどころか、無思考かつ反射的に、メスはオマエを徹底拒絶するだろう。Twitter等でも一時期話題になった「ぬいぐるみからペニスが生えてきた」案件、いわゆる“ぬいペニ戦略”は、悪い事は言わない、絶対にやめとけ。

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“「モテている男」と「無害なためにつねに女と一緒にいる事を許されている男」”


この見分けはしっかりと付けていかないといけない。目指すは前者だ。

そして、前者を目指すうえで最も有効なのが、テストステロンレベルを上げる事なのだ。

オスのラットにテストステロンを注射してゲージに戻すと、途端にメスがセックスを求めて群がる。テストステロンは、女の子にとって抗えぬ魅力だ。


ここで「テストステロン」というもののイメージ(idea)──これを読んでいる諸兄もおそらくそれに対して抱いているであろうイデア──について少し修正を加えておきたいが、テストステロンの高い男とは必ずしもこういう感じ↓の人だけではない。

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もちろん、ガチムチなマッチョは高テストステロンだし、芸能界でいえば阿部寛渡辺謙とかガタイのいい男も目指すべき理想的な高テストステロンモデルだと思うが、テストステロンの高い男とはけっしてそういう“漢タイプ”だけではない。

 

たとえばTwitter芸人として有名な彼↓のような男も、高テストステロンである。

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チャラ男は高テストステロン。芸能界でいうなら手越やロンブー淳。どちらもテストステロンの塊のような振る舞いをしているモテ男だ。

 

あるいは、一見「草食系男子」のように見える中にも、高テストステロン男は紛れ込んでいる。その実態は肉食で、ゲス極のボーカルみたいなナヨいバンドマンはこれに当たる。

 

──なぜなら、テストステロンレベルは “男としての承認” によって上昇するからだ。

他者から認められること──たとえば、褒められる事(特に女から)男から憧れられる事、スゲェ!!と言われる事、

それらを受けて「俺ってスゲェんだ」と虚勢でなく自認する*事、この心理作用がテストステロンレベルを大きく上げる。

 

*実態のない“虚栄”はテストステロン値を引き下げる。

たとえばの話、人を騙そうが詐欺ろうが本当にそれで儲けて「勝ってる」なら、テストステロン値は上昇する。でも本当は「負けてる」くせに、やせ我慢で「俺は勝ってる」と強がること(ルサンチマンにも通ずる)は、テストステロン値を大きく減退させる。
このパターン、無駄にプライドの高い──正確には“プライド”ではなく負け犬感情からくるルサンチマンの鎧だが──キモオタに多い。劣等感からその「イキリ」が生まれている時点でNGだ。「ココロ」は全部お見通しで、テストステロンはココロの声を聞いている。

 

ライブやテレビ出たりして、日々多くの女から “男としての承認” を受けているジャニタレなんかは、みんな高テストステロン値を叩き出すことだろう。

また、世界中の男を打ち倒し、オリンピックで金メダルを勝ち取ったアスリートは、他の男から強く “男としての承認” を与えられる。ボルトなんて高テストステロンの塊のようになっているだろう。


そういう意味では、マスコミや何やで “目立つ”というのは最強だ。大衆や社会に広く認知され、その好き嫌いにかかわらず「勝ち組」であると多くの人間から思われることは、男のテストステロンをぐいぐい上昇させていく。トランプ大統領も高テストステロンの権化のような振る舞いをしている。


そしてこれはそんな大きな話じゃなく、身近なコミュニティにおいても同じだ。

 

いろんな女に囲まれている「イケメン」は “男としての承認” を常に受け、キモチイイ!となっているし、

あるいは男集団の「ボス」として振る舞う男も、他の男からへこへこされたり、褒めそやされることでテストステロンレベルを上昇させている。

 

前述したような「勝つこと」によってテストステロンの上昇がもたらされる(勝者効果)、というのも、それが結局は自己承認(オスとしての自己肯定感の高まり)に繋がるからだ。

 

そして、あらゆる “承認” の中でも最強レベルで効果を発揮するのが、「つね日頃からのオンナとのセックス」になる。


──そう、何度でもここに戻ってくる。

 

ヒトが生殖のために生きている限り、遺伝子が最大の「Yes」(=承認) に規定するのは「異性からモテること」だ。


─すべての非モテに告ごう。


モテたいなら女とセックスしろ!!


オナニーをやめてセックスしろ!!


は?と思うだろう


セックスできる女がいたらオナニーなんてせんわ、と


果たしてそうだろうか?

 

本当にセックスできる女はいないか?

 

試したか?

 

やってみたか?

 

本当にオマエを受け入れてくれる女はいないのか?

 

ここでお前らは先回りしていうだろう

 

「ブスを口説けってことか? 嫌だ、お断りだよ、そこまでプライド捨てたくない。」

 

──だから、違うと言ってる。

 


オマエがプライドだと思ってるそれは、ただの虚栄なんだよ。

 

それは劣等感が築き上げた、ルサンチマンの鎧だ。

 

脱せよ

 

破壊せよ

 

オマエを縛り付けてるのはそれだ

 


自覚するんだ、そのMATRIXを

 


オマエの可能性の芽を奪ってるのはそれだ

 

欲望を自覚しろ

 

ほんとうは何がやりたい?

 

どうなりたい?

 


牢屋をこじ開けるカギは渡してやる

 


あとはオマエ次第だ

 


そこから脱獄しろ

 


そして振り返るな

 


飛べ

 


囚われている非モテコンテクスト(文脈)から離れてこっちに来い

 


これがオマエの新しい現実だ

 


戦え

 


挑め

 


コテンパンにされることで知れ

 


じぶんの弱さを

 


そして鍛えろ

 


強くなるために

 


傷つけ

 


そして強くなれ

 


道はかならず拓ける

 


絶対にオマエはモテるようになる

 


絶対だ

 


疑うな

 


そこに道はない

 

 

where there's a will, there's a way

 


盲信しろ

 


すべてを託せ

 


やるか、やらないかだ

 


Just Do It

 


Just, Do, It

 

Do It

 

Just   Do   It  !!!

 


Doooooo IT !!!!!

 

 

Dont let your dreams be dreams
(おっぱい揉みたいんちゃうんか)

 


Yesterday, you said tomorrow
(揉むためにがんばるいうたよな)

 


So,
(なら)

 


Just
(とにかく)

 


Do it !
(やれや)

 


Make your dreams come true!!
(妄想おっぱいを現実にしろや)

 


Do it
(やれや)

 


Some people dream SUCCESS
(ガチで揉もうと夢見てる奴は一杯おるけど)

 


While you are gonna wake up
(そん中でオマエは目醒まして)

 


and WORK HARD any
(ガチでとにかく動くんや)

 


NOTHING IS IMPOSSIBLE !!!
(オレには無理とかねーから)

 


You should get to the point
(オマエは行くんや)

 

where anyone else will quit
(他の奴らがもう無理や言うてやめてくとこまで)

 

and you are not gonna stop there
(でもオマエだけがそこでやめずに頑張るんや)

 


No!
(勘違いしてへんか?)

 

What are you waiting for??
(ラピュタみたいに待ってても運命の女は空から降ってこーへんぞ?)

 


Do IT !!!
(動けや!)

 

 

JUST
(う)

 

DO
(ご)

 

IT
(け)

 

!‼︎‼︎‼︎‼︎
(や)

 


YES, YOU CAN ‼︎
(オマエなら出来る!!!!!)

 

 

IF you are tired of stariting over,
(もし、恋愛をまたやり直すんが嫌なら)

 

 

STOP
(やめればええ)

 

 

... Giving Up
(ギブアップをな)

 

 

DO IT.
(やれ)

 

 

 


──さて、恋愛マッチョイズムの洗脳が完了したところで、誰でも実践できて、なおかつ効果が出るモテ戦略の話に移ろう。

 


それはセックスだ。

セックスを積み上げる。

そしてテストステロンを上げる。

 


まずは、今日からオナニーをやめろ


ただし、ストレス(コルチゾール)が溜まるので、週1でならヌいても良い。

──しかし、「○○してもイイ」という意識を持っているとどんどんエスカレートしていくのが人間なので、そこは引き締めること。抜いてもいい日は「○曜日の夜」と決めてしまおう。そしてその日の夜のそれについては、ションベンするのと一緒で、罪悪感を持つ必要はない。そしてできる限り、その週一の自慰習慣も、女とのリアルなセックスに置き換えられるように努力する。


オナニーを、非モテはきっと毎日毎晩やってる。

明らかに異常。異常な射精回数。シコりまくってるせいで24時間賢者モード


だから、恋愛なんてどうでも良いとか、オレ性欲ないとか言っちゃう。女なんて興味ないとか言っちゃう。


そういうくせに、家に帰ったら毎日ネットでオンナの裸見て鬼のようにシコってる。だからまずはその自己矛盾をやめよう。弱さはそこからくる。


自分を解放しよう、素直になろう
──認めよう。「俺はオナザル。ホントはリアルの女の子とエッチがしたい」

その「キモイ自分」の認識、承認、そして受容。そのキモイ自分と手を取り合って「なりたい自分」を偽りなく──「過去の自分」を“忌むべきもの”として封印し、別の人格を生み出すのではなく、弱小野球部を鍛え上げて強豪校ひいては甲子園を目指すようなつもりで──目指していく。そこからすべてが始まる。


毎日シコって、毎日のように「なんで俺こうなんだろ?」とひどく情けない気分に気分になるのなんて、もう十分だろ?

そんな自己否定──自分には価値がない、魅力がない、という刷り込み──を毎日のようにヤってたら、メンタルがイカレてくるのも当然だ。

 

自分を認めてあげよう、YESだ。


“人生にノーというのは死んだも同然”


これからは、女と話す時も「いや…」と否定(ノー)から始めるのをやめよう。

 

ロンブー淳非モテに恋愛を教える際、かならず ①相手の話を聞き ②「あーーうんウンウン、なるほどね」から始めて返事しろという。これだけでだいぶモテるようになると。


YESの自己洗脳は必ずしもポジティブなものに対してだけではない。

  • 自分の弱さ
  • 性欲まみれの猿である事実
  • 耳の痛いアドバイス

これらにもYESだ。


まず、受け止める。


他者の批判や耳の痛い意見も、まず受け止めてから自分の頭でじっくり考える。

 

「オマエには無理だ」というような類の可能性を否定する言葉なら、そこは自分へのYESで防護するんだ


認識や態度をこうやって変えるだけでも、
オマエのテストステロン値は上昇する。

 

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生まれ変わるための行動

 

──次は行動だ。

 

まずは①実践

それから②理論

また、③筋トレ ④食事

 

この文章では、①について語ることにする。

──とはいえ①について語ることはあまりない。実践とはあくまで、個々の人間がやるものであって、自らやるしかないものだ。それを「方法論」として俺がここで書くと、②の話になる。

 

②についても、具体に近いものと、抽象に近いものがある。俺はより抽象的で、本質的なマニュアル(たとえば種としてのヒトの生殖メカニズムの理解とか)の方が、恋愛を上達させる上では役に立つと思う。そのマニュアルは、自分の人格や、口説きたい相手や、状況や、関係性にかかわらず普遍的に有用だからだ。

世間にはびこる恋愛マニュアルのほとんどは、程度の差こそあれ、「壁ドンすれば女はキュンとするぞ」みたいなレベルのものでしかない。誰しもが有効に活用できるとは思えない。

 

そして、③と④も気が向いたら書こうとは思うけど、べつに俺は筋トレの専門家でもないし、栄養学についての見識も深くないから、それはその方面の人に任せよう。

どちらもテストステロン値を上げることに目的があるので、グーグル先生で「テストステロン 食事」とかで検索して、テキトーに調べて欲しい。それらの方面の知見は、既に十分に世界に溢れている。

 

 

なぜ「まず実践」なのか。

 

それは、受験勉強をしようと思う前に、まず過去問をチェックするのと同じ:そこにリアルがあるからだ。

 

まず、リアルにぶち当たる。そして、その解決策を導くために、具体的なデータを収集し、アタマで抽象化=理論化する。そうすることで別の子、別のシーン、別の状況に、過去の経験の統合物=理論を応用できるようになる。

 

かならずしも実践が先!ということではなく、実践ありきだということだ。実践と理論は相互補完の関係にあるが、“実” なくして“理” はあり得ない。理論は実践のためにある。

 

ここがインターネットというメディア空間である以上、俺は現実を──今こうやって書いているように──文章やイメージに変え、一般化し、そうやってできた抽象物(理論)をここに書き立て並べることしかできない。実践に有用だと思うなら、ぜひ活用して欲しい。

 

 

また、③や④の優先順位を①よりも下に置く理由だが、それは無意識の逃避行動に繋がりやすいからだ。

 

「まずは基礎固めから」と思って、女を口説く冒険に出る前に、しっかりとカラダづくりをしよう──というのはイイんだけど、一体いつになったら女を口説くのに理想のフィジカルやメンタルというものは完成するんだろうか?

 

それを"理想のワナ"という。

 

まだ準備が足りない。。まだ準備が足りない。。基礎体力が。。体幹が。。──スポーツは一向に上達しない。

 

「今あるものでなんとかしよう」という意識をつねに持っていて欲しい。オレはデブだから…ブサイクだから…チビだから…テストステロンの低い非モテ体質だから…。。

 

いや、スヌーピーがいうように、配られたカードで勝負するというメンタリティこそ、男にとって──これから美女を口説き落とすと決心した男にとって──大切なものだ。オレはオレでしか無い。

 

“美女”という強大なものをまえにして、それを打ち倒そうと思うなら(いや打ち倒すなよ笑)、なによりも今ここにある自分の可能性を信じることだ。理想の自分 (と その力) に頼ることはよくない。

 

だから、「テストステロンを上げてモテよう!」と思う男は、まず下準備として筋トレしたり、食事を高タンパク食に変えたりして、自分のテストステロン値を十分に引き上げてからいざ女の子をデートに誘おう──と普通考えるんだけど、そうやって「実践」する前に「準備」にたっぷり時間をかけることはやめたほうがいい。

 

"現実"をしかと見据え、理想や憧れは逃避のためではなく、いまある現実をより良い方向へと小突いて突き動かしていくためのツールとして活用しよう。

 

 

 

何よりもまずは実践。

 

まずは、実際にプレーをしてみて、その感触を確かめること。現時点の実力をしかと把握して、スカッと敗北すること。

 

そして、勝てるようになりたい!とヒシヒシと感じること。自分がそのコのハートを掴めなかったこと、その子に「この人に抱かれたい」と思われることがなかったことを悔しく思うこと。

 

でも、そこで自己否定 (オレはダメだ) に走る必要はない。

 

恋愛は、その性質上、スポーツよりもはるかに[負ける=自分は劣った無能である]という構図で捉えてしまいがちなゲームなんだけど、そうなる必要はない。そう、これはゲームだ。

 

友達の家に行って、そこにあるゲームで操作方法とか教えてもらいつつ対戦して、まあサクッと負けたとする。

 

どう思う?「自分は無能だ」とか思うか?

 

いや。「オレは操作すら慣れてないし、やり込んでるコイツに負けるのは当然だわ。ったく手加減しろよ笑・・・まあ面白かったからエエか」──そうなるだろ?

 

恋愛も同じ。生まれ持った才能だってもちろんあるが、結局のところ──恋愛下手しかいないこのニッポンみたいな童貞42%フィールドじゃあ特に──オンナの扱い方(操作方法)の習熟度合いで勝敗が決するゲームなんだ。

 

そして、自然界においては、個体として「強く」なったり、オス同士の勝負に打ち勝ったり、メスからオスとしての承認を得たりしてテストステロン値を上げることで「モテるオス」となり、そのメンタル(思考や意識)のまま “自然” に振る舞うことが、そのまま“オンナ扱いの上手さ”に直結する──オンナが「上手い扱い方」と遺伝子レベルで規定しているものこそ、有能なオスの振る舞いがモデル(正確な起源は逆だが;メスの好みが先だ)なのだから、当然のことだ──ということ。

 

実践において、ゲームをひたすらやりこむように、オンナ扱いの上手さを鍛える(練習する)というのは、モテる男がやっているオンナを上手に扱う方法を、真似して取り入れるということだ。

 

そして、それは単なる真似ごとで終わらない。経験を積むうちに実際に少しずつオンナ扱いが上手くなり、実際に少しずつモテるようになっていくことで、そこでたしかに獲得した「モテ」は自分という人格にフィードバックされる。

 

また「実践」によるスキルの練習と並行して、日々のメンタル育成&カラダ作り習慣──オナ禁、筋トレ、食事──が、モテる男のマインドとモテる男のフィジカルを生み出す。

 

これはスポーツで例えればいわば個人の運動神経そのものを向上させる作用であり、運動神経のいい野球部の連中が大体のスポーツを上手くこなすように、「実践」におけるスキルの上達スピードを飛躍的に上げてくれる。

 

実践によって獲得した「モテ」、日々の基礎トレによるカラダの下地(土壌)づくり、これらが「オナ猿」でしかなかった俺たちのアイデンティティを、「モテ男」へと変貌させてくれる。

 

その時、かつて「オンナ扱いが上手くなりたい」と思ってはじめた「モテる男の真似事」は、もはや真似でも演技でもフリでもない。それは「モテる男」であるオマエ自身の振る舞いになっている。

 

人間はどうやって「母親」や「父親」になるのだろうか?

──それは「どうやってなるか」という類のものではない。ただ気づいた時、すでにそうで ある[BE]ということ。

 

なる[BECOME]ではなく、

ある[BE]ということ。

 

──もちろん、誰しも、はじめはなりたい、なれたら。。[WANT BE]である。「もっと父親らしくしなきゃなぁ」「もっと母親らしくならないと」と思うがために演技(PLAY)して、「中身はコドモのままだな・・」等と自認・自嘲しつつ、オトナの「フリ」をする。

 

──フリ(PLAY)をする(母乳をあげるとか)ことで各種ホルモンが分泌され、父親、母親という意識が徐々に形成されていく。また、フリ(演技、仮装)をしているがために、周囲からお父さん、お母さんと扱われるようになる。

 

──ふと気づくと、そこに[BE]がある。その振る舞いや行動は、もはや演る[PLAY]ではなく、やる[DO]になっている。BE存在としてのDO行動が生じていている。

 

 

「モテる男になる」過程も、同じだ。

 

 

 

──非モテにとっての大敵は現実逃避。

まずは現実と向き合うこと。

現実とは自分の実力だ。

 

早速、Webで「街コン」と検索して予約をしよう。そこそこの都会なら毎日・毎週末のように行われているハズだ。

 

そして参戦しよう。

「俺はどれくらいの実力なのか?」

目を逸らさずしかと認識しよう。

 

女の子に自分から話しかけて、仲良くなって、連絡先を交換してみよう。

 

ポイント①は堂々とすることだ。

自信を持って、へりくだらず、下から行かず、かと言って当然上から見下すこともなく(非モテの見下しは最悪だ、ヘンに拗らせてると非モテのくせに上から見下すようになる。「すこしSめにいく」のはモテる男の上級テクニックで、今のオマエには100.0000%必要ない)、勇気を出して話しかけてみよう。

 

ポイント②は単なる友達枠 (「いい人」) に収まらないことだ。

キミを女として見てるよ、ということは、そのピアス似合ってるね、とか婉曲表現をつかってはじめに伝える。(ある程度実力がある男はここで「かわいいね、俺タイプかもしんない」と直接刺していくが、まーーやらなくていい)
──女を女として扱う男だけが、女から男として認識される。

 

 

  • 「話しかけたい女がいない」?

──圧倒的にオナ禁が足りない。ルックス関係なく欲情できるくらい溜めろ。セックスで満たされてないくせに、勝手に “満たされた男” と同じ立場に立つな。オマエの中にあるのは満足ではなく不満だけだろう。それを欺瞞という。

 

  • 「やっぱりリアルの女の子と話すのは怖い」?

──童貞だと思うのでソープでも行って、まずは童貞卒業しよう。15,000円もあればプレイできる。「あー、オンナなんてこんなもんか」と思うこと。そんなもんだ。オンナは異種族ではなく、自分と同じ人間だ。オナニーだってするし慣れてしまえば恥じらいもなく裸を晒す。もちろん、そこにのめり込むことなくこっちの世界に帰還すること。すべてはモテるためである。唱えよう、すべてはモテるためである。そこにいたら一生モテない。

 


さて;自分の実力が認識できたところで(たとえ連絡先聞けても、デートの約束を取り付けて、口説き落としてセックスにこぎ着けることは、今のオマエには、まー難しいだろう)、フィードバックタイム、いわゆる反省会のお時間だ。

街コン、そしてその後のデートはどうだっただろう? 非モテなら、反省点はきっと山ほどある。あるいは、反省点に気付けないということもある。

 

「何をすれば良いムードになるか」

「どう持って行くのが正解なのか」

 

なにかの実験をしているつもりで、とにかくPDCAをブンブン回そう。

 

とにかく数。連絡先を集めて、デートの約束を取り付けて、最後にはかならず口説く。そうして三振を繰り返す。

 

「あー、これ無理だな」と諦めて口説かずに終えるのが一番ヤバい。

──「無理だった」というのは立派な試行サンプルだ。でも、試してみずに終えたらそのサンプルは得られないし、その状況をなんとか覆そうともがくことで得られるはずの経験値も得られない。

 

打席に立って、バット振って打とうとしないと、いつまでたってもスイングが分からないし、撃てるフォームが固まらないし、球感を掴めない。

 

とにかく最後は口説いて、ちゃんと玉砕してから、“終わり” ましょう。

──それでも終わらないのが人生だ。その先につづく未来のために、終わらない歌を歌おう。自分が所属するコミュニティ内で試行回数を積まないかぎり、何度フラれてもオマエは無傷だ。

 

とにかくオンナならみな愛せよ。男にはそれができる。

──「無理だな」と思うのなら、それは今のオマエにはイイ女すぎるって事だ。SPA!の『デブスを抱いてみる』を参考にしよう。自分の実力を鑑みること。口説き落とせないくせに、ルックスの微妙な子を指差して「デブス!」とバカにすることにはなんの生産性もない。

しっかりオナ禁をして臨めば、タネづけ存在である男には、本質的に"オンナに対する博愛の精神"が備わっているということに気づくことができる。なんとまぁ、あんなにヘイトしていたはずの女の魅力にやられて、下半身が屹立している・・!──きっとそうなる。

 

 

目の前の相手に真摯に向き合う事。

オナ禁して、素直に発情すること。

とにかく口説いてみること。

 

声に出してみよう、お前を抱きたいと。

 

 

結婚するまでは自由恋愛それは国家というお上が保障している市民に認められた権利であり、ひとりの人間として、また自然存在として、持っている自由だ。

 

当然のことながら「お試し」もありだ。「相性が合えば、付き合う」のスタンスでいい。いろんな人と知り合い、触れ合い、自分に合う人を見つけること。それこそ結婚までにやらなきゃいけないことだからだ。

 

自分の“運命の人”を探す旅。

これから踏み出すのは──本当はすでに踏み出しているべきなのだけれど──その大いなる旅の第一歩だ。

 

そのグレートジャーニーの精神的支柱は「博愛」というマインドだ。

 

汝、隣人を愛せよ。

 

そして股間に素直になれ。

 

拒否ではない。受容だ。

 

実際の話、女の子はみんなカワイイ。

 

俺はみんな抱きたい。

 

みんなカワイイ。

 

こんなにカワイイのに、なんで皆口説かないの?

 

何してるの、世の中の男たちは。

 

止まらんよ、勃起が。

 

抱きたい。

 

──非モテたちに足りないのはこういうスタンスなんだ。無邪気さ。虫取り少年のような無邪気さ。

 

「俺は女の子が大好きだ」と認めること。その気持ちに素直になって、無邪気に遊ぶこと。:この気概だ。

 

ヘンに「騙そう」みたいなことを考えてると失敗する。好き!の気持ちでやることが、どんなことでも成果を出す。

 

欲情に素直になること。

そしてそれを、好き!の気持ちにして正々堂々と行動すること。

 

男としてのワクワク心。
“この先に何が待っているのだろう?” 未知なる冒険だ。ワクワクできないならワンピースを読め(俺はナルト派だ)。

 

もちろん、無邪気さは時に人を傷つける。じゃあどうする?偽善者として振る舞うか? おそらく、そっちの方がよっぽど人を傷つける。

 

偽善者になってはいけない。自分を偽ってもだいたいロクなことにならない。

 

俺たちは「光り輝くクズ(by しみけん)」であろう。おっぱい揉みたい!ピュアな欲求。もし悪意とか、禍々しい気持ちが出てきたら、こう唱えよう。

 

 

 

“おっぱい揉みたい!”

 

 

 

10回ココロの中で唱えよう。

ピュアなきらめき。そのポジティブなエネルギーが人を惹きつける。寄ってきた人にはハッピーを共有しよう。そして一緒に楽しもう。

:ワンダイレクションの『Midnight Memories』というアルバムにはこういう風に無邪気にFEEL ALIVEしようよという曲がたくさん詰まっていて好きだ。

* お決まりのUKロックとして(陳腐というならそれでいい笑)「楽しく」聴けるから、他人にマウントを取るために上げるものとは別の、俺にとって真にfavoriteな音楽アルバムの一枚になっている(みんなそういうのあるよね)。中には「Happily」なんて彼氏持ち女に手を出す曲もある。それでも人生楽しく生きたやつが人生の勝者だ。

 

FEEL ALIVE。

 

──俺たちはイマという箒星を全力で追いかけないといけない。ジャネーの法則というものがある。「20歳で人生の体感時間は折り返し」というやつだ。

 

イマを楽しまずに蔑ろにして、「いつか」のためにツマラナイ毎日を送るのは素晴らしいことだが、もしその目標が「老後の安寧」とかなら最悪だ。

 

老後20年の体感時間なんて、誇張抜きに、若い間の3〜5年にも満たない。:キリギリスになれ、と言うわけじゃないんだけど、いま楽しめることは楽しんでおいたほうがいい。

──特に、恋愛とセックスとかね。

 

 

 

誰もが人生を結果で評価する。そして「結果」のために、イマを犠牲にする。

 

  • 人生は結果が全てか?

──否、そんなことはない。

結果がすべてなら、最期には俺たちみんな仲良く死んで焼かれて土の中だ。

高級な老人ホームに入るとか、死んだあとの埋葬方法が多少グレードアップするとか、結果ってそういうことだ。

 

  • 恋愛は結果がすべてか?:成就しなかった恋愛はすべて無駄か?

──否、そんなことはない。

そこにはハッピーがあったし、ワクワクがあったし、ドキドキがあった。

 

 

人生は思い出で出来ている。

「イマ」として思い出せるシーン。それを無数に集めたモザイク画が、ひとりの人間の人生というものだ。

“ Live a life you will remember. ”

 

 

─ 結果?

 

終着駅に向かうために人生のレールに乗っかっているとしたら、明日の朝にでもDIVEすれば、行きたかった目的地に最短距離と時間で人間はたどり着ける。

 

──違う。俺たちは窓から景色が見たいんだ。そのために人間は、わざと3/4世紀くらい掛けて終着駅までの道のりを、遠回りしている。

 

時間軸や因果にとらわれず、

ある日、ある場所にハッピーな二人がいたということが大切なのであって、

ハッピーエンドかどうかは物事の価値を測るモノサシではない。*1

 

それは、物事の価値というものを「(必ず)後から振り返って評価する人」が脳みそに備えている思考バイアスで、皿の上に盛られているホウレンソウとハンバーグを"どっちから先に食べるか"で幸福の総量が変わるという理論であり、そしてそれを「人生」というものにも適用して話す人の戯言だ。*2

 

*2 それを言うなら逆だ。

:冗談じゃなく、人生において「ハンバーグは後回しにしよう」とか思っていると、もうその時には味覚は衰え、ハンバーグの美味しさや新鮮みを感じられなくなっている。さらにはジャネーの法則の効果により、ハンバーグを味わう体感時間よりも、ホウレンソウを味わなければならない体感時間の方が圧倒的に長くなってしまう。経済学の「効用」基準でいえば「老後の蓄え」は相当な損失だ。そしてそれはつねに不安に駆られて感情的に思考し、恐怖を過剰に見積もるバイアスに囚われて生きる、臆病者に課された税金だ。

 

*1 「ハッピーエンドじゃなきゃ価値はない」という奴は『ララランド』をしっかり最初から最後まで鑑賞した上で、この映画の価値を否定してほしい。

──「結局、“夢オチ” だから無意味」?

 


人生は思い出で出来ている。

 

いまこの瞬間を、ハッピーで満たそう。

 

二人のこの先がどうなるのか?──そんなことはどうだっていい。:どうだってよくないが、今はどうだっていい。

 

愛する人を見つけたなら、いま、しあわせなこの瞬間を、これまでの人生のハッピーエンドにすればいい。

 

「しあわせに暮らしましたとさ」

:もちろんそのエピローグには、遅かれ早かれ別れがある。離別、死別。いずれ、かならずや引き裂かれる運命だ。

 

だから、結果や結末はどうだっていい。

いまこの瞬間をハッピーで満たし、その幸せに身をゆだねて踊ること。

 

思い出を作ることが、この世で唯一の、フォーエヴァーを生み出す方法だ。

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───なんでこんなお喋りをしてるかって?

 

翻って、もしそういうポジティブな気持ちを、一つたりとも

口説いてワンナイトセックスした女の子に男が抱かせられなかったとしたら、それは絶対に、なにかやり方を間違えているって事だからだ。

 

 

──男の恋愛にはダークエネルギーがある。

 

フォースの操作を誤ると、すぐに飲み込まれ、堕ちてしまう。

 

対策は愛の力だ。口説きは、愛(エロス)から始めよう。

 

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* * * *

 

モテとは、愛とは、「自由」である。


──さて:博愛の精神は身についただろうか?思考のポイントは、“相手から何かを奪い取ろう”とするのではなく、ひたすらに“与える”ことだ。

 

ポジティブなエネルギーを、いろんな人に与えること。口説き相手に、ポジティブな気分を与えること、共有すること。

 

だけども、注意点はある。

 

「好き!!めっちゃ好き!!」みたいな気持ちのゴリ押しはやめた方がいい。

ありがた迷惑という言葉がある。

 

与えるべきは「好き!」という身勝手なモンじゃない。

 

エゴを受け取った相手は、“抑圧”を感じる。それは違う。与えるどころか、自由を奪っている。

 

博愛とは「自由」の感情だ。


相手に、自由──この人の言葉、本当に嬉しいし、力になるし、一緒にいると気が楽だし、何でも出来そうな気分になる!──を感じさせてあげること。

 

博愛にはある意味、“軽さ” が必要だ。

 

重たさとは縛りだ。拘束具だ。そんなもんを相手に初っ端から取り付けようとするのは、『フィフティシェイズオブグレイ』の見過ぎ。(そしてあの映画のテーマは“解放”だ)

 

いま相手を口説こうとするキミに必要なのは、相手に自由を感じさせてあげること──「解放」だ。

 

世の中の女の子は、「女の子はこうあるべき」というツマラナイ規範に雁字搦めにされていて、動けない。

 

だからキミが解放する。その重りを外してあげる。その雁字搦めを解いてあげる。カゴから救い出して、思う存分羽を伸ばさせてあげる。

 

そのためには、相手を縛り付けることなく「キミは素敵だ」と伝える術──「軽さ」が必要なんだ。

 

それは、思わず笑っちゃうようなモンでもいい。とにかく楽しませて、楽しませるついでに、口説く。

 

「俺と夜のドライブに行かない?」

 

──「軽さ」はキミを “悪いヤツ” に見せるだろう。“いいヤツ” を演じる偽善者とは真反対だ。

 

だけどキミは、ワルイ男にならなくちゃいけない。

 

  • 「女の子の方を悪者にする男は最悪」

これが男の絶対ルールだと思って欲しい。口説きの本質はwin-winの共犯だ。だけども──表面上は、加害者-被害者 に見えるように演じること。口説きは甘い誘拐、夜のドライブ、それに連れ出す “加害者役” は男がやるんだ。

 

  • 「このあとセックスしませんか?どうですか?」

──これは “共犯の持ちかけ” でしかない。「熱帯魚見にこない?(笑)」とか笑える理由にかこつけたり、「ゼッタイ何もしないから(笑)」とかお決まりのことを言ったりして、互いの同意の上で、タテマエ的に「男が騙す」形をとる。字面では分かりにくいが、そこに悪意はない。なんならニヤニヤしている。

 

こうやってタテマエ上、男が「悪者」になって連れ出す。これが基本だ。

 

あるいは「今夜は一緒にいたい。俺のせいにしていいから、朝まで一緒にいてよ」と言葉で言ってしまってもいい。

 

非モテは「なんでいつも男がやらなきゃダメなんだよ」と文句を言うけど、そうやって生物学的なルールで決まってる以上、仕方ないことだ。

 

いま、俺は、女と争いたいのか?それともセックスがしたいのか?

──つねに自問しよう。

 

 

タテマエとホンネが読み取れないのは非モテ男子の特徴なので、たくさん経験を積んで、女の子の二重構造を理解できるようになろう。

 

そして自分も、相手を傷つけないための飄々としたタテマエと、ストレートに気持ちが伝わるホンネのアウトプット方法を身につけよう。

 

 

 

さて、長々と “実践” におけるココロガマエについて語ってきたが、シーン別の、この時はこう、この時はこう、みたいなものはたくさんありすぎて書ききれない。だからまた別の機会に書こう。

 

それに、具体的なツールというものは、誰しもに適用できない。そういうのは経験を積んで自分で身につけるものだ。ヘンに自分のキャラや性向に合わないラブハックスキルをオベンキョして小手先で身につけても、不自然で不気味な得体の知れないキモさがでるだけ。

 

信じられるものは自分の経験だけだ。


──それこそが自分自身のホンモノの血となり肉となり、蜃気楼のようなものではない、たしかな実体になる。


「まず実践ありき」そう思って欲しい。頭だけヘンに大きくなっても、“行動知”が無ければなんの意味もない。

 

行動する知性。JUST DO IT。

:そのために俺はいまこうして、これをシコシコ読んでるヤツと、そして最近フィールドワークが減ってきている自分自身に対してもモチベートしている。

 

世の中頭ばっかりデカくなって、一歩も動けないヤツが多すぎる。知識を身につけ、情報を仕入れると可能性は広がるハズだった。違う、実際に賢いヤツらが身につけたのはあらゆるIFの心配だ。

 

“そんなことして、危なくないの?”
“もしこうなったらどうするんだ?”

 

IFの心配で、足がすくんで動けないまま──あり得たはずの自分の人生における可能性が、残酷に過ぎ行く“ 時間” というものによって押し潰され、流されて、消えて無くなってしまう。

 

実際に旅行に行くのは危ないから、家でPC弄ってグーグルアースで旅行した気分になろう。

──こんなことが、いま現実に世界中で起こっている: “ 本当に口説くのは怖いから、家でチンコ弄って美女とセックスした気分になろう。”

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*  *  *  *  *

 

まとめ

 

──さて、長いこと語ってきた。

 

こんなインターネットじゃ滅多にお目にかかれないレベルの長文を、シコシコと余すことなくここまで読んできてしまった人間は、おそらくかなりの忍耐力がある。きっとオナ禁できる。モテよう。

 

男の非モテを固定化するオナニー行為の制限は、これからモテようと思う男にとって、もっとも大切な習慣基盤になる。

 

それを続ければ、やがて男のモテはポジティブなスパイラルに入る。オナ禁がテストステロン分泌機能にポジティブな効果を与え、そのテストステロンの上昇が、思考のポジティブさ→バイタリティの高い行動力→実践回数UP→小さな成功→テストステロン値の上昇・・というふうにプラスのフィードバックループを発生させる。

 

テストステロン値上昇

→さらにモテる

→テストステロン値上昇

→さらにモテる

→テストステロン値上昇

→さらにモテる

→テストステロン値上昇

→さらにモテる・・・

 

一度ここに組み込まれてしまえば、きっと非モテはみるみるうちに人格が変わるし、セックスを自ら獲得できるようになったことで、ポジティブで、快活で、明るく、自信を持った、バイタリティの高い男に生まれ変わることができるだろう。


前述した、テストステロンがもたらす効果一覧をもう一度確認しよう。

 

──ああ、これほど、男の「モテ」のすべての真髄が詰まったものはない。

 


しかし、世の中の非モテは、日々のオナニーによって、テストステロン値を毎日シコシコと引き下げ、さらなる非モテスパイラルのドツボにハマっていく。

 

「モテたい」と望んでいるはずの彼らは、一体なぜ、「テストステロン値を上げる─ こんな簡単なことをやらないのか?

 

 

──それは、まさにそれこそが、テストステロン低下による思考作用だからだ。

 

非モテは毎日怒涛のペースでオナニーし、自己否定しまくっているせいで、テストステロン値がクソ低い。

 

故にどんなアドバイスを受けても、

「おっしゃヤるぞ!」というような気持ちには絶対ならない。あるいは一時的に「やるぞ!」と思ってもそのエネルギーが行動として結実しない。

 

結局、そこに残ったのは「行動できない自分の情けなさ」だけであって、「やっぱ俺には無理じゃねえか」と、自らが主張している仮説[“俺には無理” ]が、ただただ “実証” されるだけの結果となる。

 

これを思春期以来、何度もなんども繰り返しているのだから、そりゃあひたすら頑固で捻くれた非モテ人格も立派に出来上がるでしょうという話。セックスなんてできなくて当然だ。

 

彼らはただ、卑屈な態度のまま硬直する。


“JUST DO IT ”が出来ないのだ。

 


「テストステロン値の低さ」こそが、
非モテに特徴的な要素──たとえば、気力・体力・行動力の無さ。弱さ、卑屈さ、臆病さ、ビビる、キョドる、自信・度胸・勇気がない、「どうせ俺なんて…」「俺には無理」な思考。内側の雑魚さとは逆に肥大化した外側のプライド。ブス!という女への意味不明な攻撃性。モデルを指して「顔面偏差値50やな」みたいな意味不明なイキり、そしてすべてこういう事実を図星で指摘された時の発狂と現実逃避の性向────のすべてを長年かけて錬成している。

 

 


そう、ホルモンこそが人格を作り、男のモテを作る。俺たちはこのホルモンを年中高くキープし、365日「男の子の日」でありつづけよう。そしてそれは「女の子の日」とは異なり、オンナさえその気になれば(その気にさせるのは俺たちだが)、

いつでもセックスできる” 

という、男の心身にとって、もっとも理想の健康状態のことなのだ。

 

 

 

 

fin.